川崎河港水門
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川崎河港水門 | |
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情報 | |
用途 | 河港施設 |
設計者 | 金森誠之/内務省多摩川改修事務所 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート造 |
高さ | 高さ20.3メートル、水門幅10.0メートル |
竣工 | 1928年(昭和3年)3月 |
所在地 |
〒210-0807 神奈川県川崎市川崎区港町66番地先 |
座標 | 北緯35度32分10.4秒 東経139度43分00.8秒 / 北緯35.536222度 東経139.716889度座標: 北緯35度32分10.4秒 東経139度43分00.8秒 / 北緯35.536222度 東経139.716889度 |
文化財 | 国の登録有形文化財(建造物) |
指定・登録等日 | 1998年(平成10年)9月25日登録 |
川崎河港水門(かわさきかこうすいもん)は、川崎市川崎区港町地先の多摩川にある水門。国の登録有形文化財(建造物)に登録されている[1]。
沿革
[編集]多摩川の河口に近い右岸(南岸)に位置する。1918年(大正7年)から行われた多摩川改修工事の一環として、川崎市内を縦断する運河を造ることが計画された。川崎河港水門は、運河と多摩川を仕切る水門として、1928年(昭和3年)3月に竣工した。
水門建設は、内務省多摩川改修事務所長であった、金森誠之の申し出を受けて、味の素がその建設費用を寄付金として負担したもので、現在も水門付近が味の素の管理地となっている。
川崎運河計画の一環として完成するも、社会情勢の変化により運河建設計画は中止され、部分完成していた運河はほとんどが埋め立てられ、運河は水門近くの船溜りとして残るのみとなっている。
しかし水門自体は残り、砂利の陸揚げ施設として、砂利運搬船等の出入りに現在も利用されている。
水門の上部には川崎市の市章と、往時の川崎の名産物であった梨・ブドウ・桃などをモチーフとした装飾がある[2]。1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録された[1]。