川勝広長
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 享保20年(1735年) |
死没 | 寛政6年6月7日(1794年7月3日) |
改名 | 便繦(隠居後の号) |
別名 | 平七郎、縫殿助、縫殿(通称) |
戒名 | 廣長(法名) |
墓所 | 東京都港区東麻布の瑠璃光寺 |
官位 | 布衣(六位) |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 |
父:妻木頼直、母:某氏 養父:川勝広當 |
兄弟 | 広長 |
妻 |
正室:川勝広當の娘、 継室:戸田忠汎の娘 |
子 |
広品(婿養子。内田正良の三男)、 養女(牛込勝音の娘で広品室) |
川勝 広長(かわかつ ひろなが)は、江戸時代中期の旗本。秀氏流川勝家(本家)の7代当主。
生涯
[編集]享保20年(1735年)、妻木頼直の二男として江戸に生まれ、後に川勝広當の婿養子となった。宝暦10年(1760年)11月25日、初めて将軍徳川家治に拝謁した。宝暦12年(1762年)9月28日、小姓組に列し、後に的を射て時服2領を給わった。安永4年(1775年)5月10日、義父広當の隠居により、その家督(丹波内2,570石余)を継いだ。
安永5年(1776年)4月、将軍家治の日光社参に供奉した。天明元年(1781年)1月11日、使番となり、同年12月16日に布衣を着る事を許された。寛政2年(1790年)6月24日、職を辞して寄合に列し、同年11月8日に隠居した。家督は婿養子の広品に譲った。
寛政6年(1794年)6月7日、60歳で没した。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
|
|
|