川勝広永
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時代 | 江戸時代中期 - 江戸時代後期 |
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生誕 | 宝暦9年(1759年) |
死没 | 不明 |
別名 | 初直常、彌十郎、頼母(通称) |
墓所 | 東京都港区赤坂の法安寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 永井氏→秦氏流川勝氏 |
父母 |
父:永井直令、母:鈴木氏 養父:川勝広克 |
兄弟 | 永井直廉、遠山景晋、広永 |
妻 |
正室:川勝広克の養女(谷衛明の娘)、 継室:吉益忠徴の娘 |
子 | 広充、女子 |
川勝 広永(かわかつ ひろなが)は、江戸時代中期から後期の旗本。知氏系重氏流川勝家の8代当主。『寛政重修諸家譜』編纂時の当主。定紋は桐に鳳凰。
生涯
[編集]宝暦9年(1759年)、永井直令の六男として江戸に生まれ、後に川勝広克の婿養子となった。寛政3年(1791年)4月4日、義父広克の死去により、33歳で家督(下野・常陸内700石)を継いだ。同年10月6日、初めて将軍徳川家斉に謁見した。
寛政6年(1794年)2月7日、大番に列し、後に的を射て時服を給わった。
寛政11年(1799年)時点で年齢は41歳、役職は大番(六番)。屋敷は虎御門内坂上。没年不詳。後に家督は嫡男の広充が継いだ。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
- 石井良助監修、小川恭一編著『江戸幕府旗本人名事典(第1巻)』原書房、1989年
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