島本幸助 (先代)
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先代 島本 幸助(せんだい しまもと こうすけ、前名・光次郎[1]、あるいは岩次郎[2][3]、1859年4月6日(安政6年3月4日)[4] - 1928年(昭和3年)1月21日[5])は、日本の商人(呉服商[1]、織物商[4])、実業家、広島県多額納税者[1][6]。島本商事代表社員[1]。山陽燐寸社長[1]。族籍は広島県平民[2][3][7]。
人物
[編集]広島県・島本幸助の長男[1][3][7]。1884年、家督を相続した[1][2]。広島県多額納税者であり呉服商を営み、傍ら会社重役であった[1]。山陽燐寸社長、広島呉電力、広島油明、広島信託、広島瓦斯電軌、広島木材、東邦護謨、広島電気[5]各取締役、中国商業銀行、広島株式取引所各監査役等をつとめた[1][2][3][7]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[4]。住所は広島市京橋町[3][7]。
家族・親族
[編集]- 島本家
- 父・幸助(広島県平民)[3]
- 妻・ヒサ(1866年 - ?、広島士族、高地熊之助の長女[3]、地主[8])
- 男・幸助(1890年 - ?、旧名・圭一、広島県多額納税者[6][9]、島本商事代表社員[9])
- 男・静吾(1898年 - ?)[3][8]
- 男・鶴造(1899年 - ?)[3][8]
- 女・秀子(1893年 - ?)[3]
- 二女・ミツ[2](あるいはミワ[3]、1895年 - ?、外祖父・高地熊之助の養子となる)[3]
- 女・清子(1906年 - ?)[3][8]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第8版』シ68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月27日閲覧。
- ^ a b c d e 『職業別信用調査録』し685頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第6版』し57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月27日閲覧。
- ^ a b c 『貴族院多額納税者名鑑』484 - 485頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月27日閲覧。
- ^ a b 『官報 1928年03月13日』官報 第360号 346頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月14日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 広島県62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月18日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第7版』し65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月27日閲覧。
- ^ a b c d 『日本紳士録 第40版』広島シ、スの部12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月18日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第12版 上』シ73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 日本秘密探偵社編『職業別信用調査録』日本秘密探偵社、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1928年03月13日』日本マイクロ写真、1928年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1937–1939年。