島本幸助
表示
島本 幸助[1](しまもと こうすけ、前名・圭一[2][3]、1890年(明治23年)10月15日[4] - 没年不明)は、日本の実業家。広島県多額納税者[2][3][5]。島本商事代表社員[2][3][6]。広島株式取引所常務理事[2][3][6]。
人物
[編集]広島市京橋町出身。先代・幸助の二男[2][3][7]。1928年、家督を相続し、前名・圭一を改め襲名した[2][3]。繁栄の家運と強固な地盤を継承し、よくこれを守り、島本家の基礎はいよいよ堅く、益々繁栄を致した[1]。島本商事会社代表社員であり広島株式取引所理事、社団法人広島義濟会理事会長を兼ね広島県多額納税者に列する[3]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[4]。趣味は読書[2][3]。宗教は真宗[2][3]。広島在籍[2][7]。住所は広島市京橋町[3][6]。
家族・親族
[編集]- 島本家
『広島県誌』によると「島本家は広島市屈指の富豪であり、元来その祖は市内橋本町の旧家であるが、当主より4代以前伊助が分家して京橋町に住し、先代幸助が逝去すると、圭一が襲名して幸助と名乗る。島本家は先代幸助より木綿反物の問屋を業とし、市内屈指の大問屋だったが、先代幸助は大実業家としても知られた。」という[1]。
- 父・幸助(1859年 - 1928年、呉服商、会社重役[3][8]、広島県多額納税者[5]) - 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[4]。
- 母・ヒサ(1866年 - ?、広島士族、高地熊之助の長女[3]、地主[9])
- 妹
- 弟
- 長女(1932年 - ?)[3][6]
脚注
[編集]- ^ a b c 『広島県誌』884 - 885頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第13版 上』シ68 - 69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『人事興信録 第12版 上』シ73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月1日閲覧。
- ^ a b c 『貴族院多額納税者名鑑』484 - 485頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月27日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 広島県62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月18日閲覧。
- ^ a b c d 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』広島14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月14日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』シ67頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月18日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』し57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月18日閲覧。
- ^ a b c d 『日本紳士録 第40版』広島シ、スの部12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 『広島県誌』自治調査会、1932年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1937–1939年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。