島原市立第二小学校
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島原市立第二小学校 | |
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2022年11月撮影 | |
北緯32度46分56秒 東経130度21分34秒 / 北緯32.78225度 東経130.35954度座標: 北緯32度46分56秒 東経130度21分34秒 / 北緯32.78225度 東経130.35954度 | |
過去の名称 |
二番小学協律学校 第五大学区第三中学区有明小学校 尋常島原小学校・尋常大手女児小学校 尋常大手小学校 大手尋常小学校 島原町尋常小学校 島原第二尋常小学校 島原第二国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 島原市 |
校訓 | かしこい子 やさしい子 たくましい子 |
設立年月日 | 1873年(明治6年)12月12日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210000652 |
所在地 | 〒855-0854 |
長崎県島原市萩が丘二丁目5688番地 | |
外部リンク | 島原市立第二小学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
島原市立第二小学校(しまばらしりつだいにしょうがっこう, Shimabara City Daini Elementary School)は長崎県島原市萩が丘二丁目にある公立小学校。略称は「二小」(にしょう)。
概要
[編集]- 校章
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- 円と「二」の文字、「小」の文字を組み合わせたものとなっている。
- 校区
- 住所表記で島原市の後に「小山町、萩原一~三丁目、青葉町、寺町、萩が丘一・二丁目、上の原一~三丁目、白土町、加美町、桜町、万町、堀町、中堀町、新町一・二丁目、高島一・二丁目、弁天町一・二丁目、湊道一・二丁目、下折橋町の一部(4694番地)」が続く地区。
- 中学校区は島原市立第一中学校・島原市立第二中学校。
沿革
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- 1873年(明治6年)12月12日 - 島原村の桜馬場に「一番小学完善学校」、新町の年寄屋敷・隈部孫一宅の一部を校舎に「二番小学協律学校」が開校。
- 1874年(明治7年)4月 - 一番小学完善学校が「第五大学区第二中学区[1]島原小学校」に改称。
- 1875年(明治8年)5月 - 二番小学協律学校が大手に移転し、「第五大学区第三中学区有明小学校」に改称。
- 1878年(明治11年)- 島原村の一部が分立し、島原町となる(島原村と島原町が併存)。
- 1884年(明治17年)9月8日 - 大手女子小学校を分設。
- 1886年(明治19年)9月24日 - 小学校令が施行される。
- 島原小学校に尋常科(修業年限4ヶ年)を設置し、「島原学区尋常島原小学校」に改称。島原村と島原町の男児を収容。
- 有明小学校に尋常科(修業年限4ヶ年)を設置し、「島原学区尋常大手女児小学校」に改称。島原村と島原町の女児を収容。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行される。これにより島原町と島原村で尋常小学校学区の分離が検討され始める(それまで島原町と島原村の組合で運営)。
- 1890年(明治23年)4月1日
- 尋常島原小学校を島原村立の小学校とし、島原村の児童を収容。男女共学に戻す。
- 尋常大手女児小学校を「尋常大手小学校」に改称。島原町立の小学校とし、島原町の児童を収容。男女共学に戻す。
- 1893年(明治26年)1月24日 - 小学校令の改正により、「大手尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 1900年(明治33年)10月25日 - 大手から新町に移転を完了し「島原町尋常小学校」に改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長されたため、尋常科5・6年を新設。
- 1911年(明治44年)4月 - 2教室を増築。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 新・島原町の発足[2]に伴い「島原第二尋常小学校」に改称[3]。
- 崩山・桜井寺下から南東に通じる新道以北の地域を校区とする。
- 第二尋常小学校には高等科は併置されず、尋常小学校を修了し高等科に進学を希望する児童は島原第一尋常高等小学校の高等科に通学した。
- 1925年(大正14年)10月15日 - 第3棟4教室が完成。
- 1938年(昭和13年)9月1日 - 木造2階建て4教室が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「島原第二国民学校」に改称。従来の尋常科を初等科に改称。
- 1942年(昭和17年)12月 - 校歌を制定。
- 1947年(昭和22年)
- 1955年(昭和30年)10月1日 - 完全給食を開始。
- 1963年(昭和38年)8月6日 - プールが完成。
- 1972年(昭和47年)9月1日 - 新校舎が完成し移転を完了。
- 1973年(昭和48年)3月31日 - 体育館が完成。
- 1975年(昭和50年)7月25日 - プールを改築。
- 1976年(昭和51年)3月18日 - 創立100周年記念碑を建立。
- 1980年(昭和55年)12月12日 - 校章・校旗を制定。
- 1984年(昭和59年)1月7日 - 土俵が完成。
- 1987年(昭和62年)12月15日 - 郷土資料館が併設される。
- 1990年(平成2年)11月17日 - 雲仙普賢岳が198年ぶりに噴火。
- 1991年(平成3年)
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)10月22日 - 奈良尾町立岩瀬浦小学校とふるさとふれあい学習を実施。
- 2002年(平成14年)4月 - 完全学校週5日制が開始。
- 2023年(令和5年)12月1日 - 創立150周年記念式典を開催。
交通アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 島鉄バス 島原市内線 「萩が丘」バス停
- 最寄りの国道
周辺
[編集]- 島原総合運動公園・島原市営野球場
- 春陽保育園
- 島原活水幼稚園
- 稲荷大社
- 法義寺
- 薬草園跡
脚注
[編集]- ^ 長崎区が第一中学区、旧島原藩が第二中学区、旧大村藩(諫早・彼杵)が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五学区。なお壱岐・対馬は第四中学区に属した。
- ^ 島原町、湊町、島原村の合併による。
- ^ この際、島原尋常小学校が「島原第一尋常高等小学校」(現・島原市立第一小学校)に、湊町尋常小学校が高等科を併置し「島原第三尋常高等小学校」(現・島原市立第三小学校)となった。なお1940年(昭和15年)4月1日に島原町・杉谷村・安中村の合併で島原市が発足したことにより、杉谷尋常高等小学校が「島原第四尋常高等小学校」(現・島原市立第四小学校)に、安中尋常高等小学校が「島原第五尋常高等小学校」(現・島原市立第五小学校)となった。
参考文献
[編集]- 「島原の歴史 自治制編」(1976年(昭和51年)12月発行、編集:入江壻、出版:島原市役所)