島原市立第二中学校
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島原市立第二中学校 | |
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2022年11月撮影 | |
北緯32度46分20.1秒 東経130度21分49.2秒 / 北緯32.772250度 東経130.363667度座標: 北緯32度46分20.1秒 東経130度21分49.2秒 / 北緯32.772250度 東経130.363667度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 島原市 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C142210000400 |
所在地 | 〒855-0843 |
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島原市立第二中学校(しまばらしりつ だいにちゅうがっこう)は、長崎県島原市新山三丁目にある公立中学校。略称「二中」(にちゅう)。
概要
[編集]- 校章
- 校区
- 島原市の後に「寺町、上の原一丁目、上の原二丁目、上の原三丁目、白土町、加美町、桜町、万町、堀町、中堀町、新町一丁目、新町二丁目、高島一丁目、高島二丁目、湊道一丁目、湊道二丁目、弁天町一丁目、弁天町二丁目、新山一丁目、新山二丁目、新山三丁目、新山四丁目、崩山町、坂上町、坂下町、八幡町、西八幡町、栄町、浦田一丁目、浦田二丁目、蛭子町一丁目、蛭子町二丁目、白土桃山一丁目、白土桃山二丁目、霊南一丁目、霊南二丁目、有馬船津町、津町、元船津町、湊新地町、湖南町、広馬場町、中組町、白山町、湊町、下川尻町、南下川尻町、緑町」が続く地域[1]。
- 小学校区は島原市立第二小学校(一部)・島原市立第三小学校
沿革
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- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 3月31日 - 島原市立第三小学校の木造校舎を借用し、1・2年生を収容。分校として旧・島原高等女学校校舎を借用し3年生を収容。
- 4月1日 - 学制改革により、旧制・長崎県立島原高等女学校が廃止され、新制高等学校「長崎県立島原女子高等学校」が発足。
- 6月 - 父母と先生の会が発足。
- 9月1日 - 新山町の新校舎建設予定地の造成が完成。
- 10月27日 - 3年生が島原高等女学校校舎から旧・島原商業学校校舎に移転し、独立校舎が完成するまでの間仮校舎とする。
- 11月 - 島原市内の県立高等学校3校(島原・島原女子・島原商業)が統合され長崎県立島原高等学校(男女共学)となる[2]。
- 12月25日 - 現在地に木造校舎3棟14教室が完成。
- 12月26日 - 新校舎への移転を完了。
- 1951年(昭和26年)7月30日 - 校舎を増築。購買部を設置。
- 1952年(昭和27年)7月20日 - 第4棟3教室が完成。
- 1954年(昭和29年)7月23日 - 第4棟に3教室を増築。
- 1957年(昭和32年)3月15日 - 校歌を制定。
- 1958年(昭和33年)11月25日 - 学校図書館が完成。
- 1960年(昭和35年)
- 7月20日 - 部室2室が完成。
- 9月13日 - 講演会が発足。
- 1961年(昭和36年)
- 1963年(昭和38年)10月7日 - ミルク給食を開始。
- 1964年(昭和39年)
- 4月1日 - 特殊学級を設置。
- 10月4日 - 校旗を制定。
- 1965年(昭和40年)3月3日 - ブラスバンドを創設。
著名な出身者
[編集]アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 島鉄バス「第二中学校前」
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ 通学区域一覧 - 島原市
- ^ 1956年(昭和31年)に長崎県立島原商業高等学校は分離独立している。
参考文献
[編集]- 「島原の歴史 自治制編」(1976年(昭和51年)12月発行、編集:入江壻、出版:島原市役所)