島原市立第四小学校
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島原市立第四小学校 | |
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2022年11月撮影 | |
北緯32度47分54秒 東経130度20分49秒 / 北緯32.798278度 東経130.346917度座標: 北緯32度47分54秒 東経130度20分49秒 / 北緯32.798278度 東経130.346917度 | |
過去の名称 |
第五大学区第三中学区杉山小学校 第五大学区第二中学区杉山小学校 公立下等杉山小学校 公立中等杉谷小学校 尋常杉谷小学校 杉谷尋常小学校 杉谷尋常高等小学校 島原市杉谷尋常高等小学校 島原市杉谷国民学校 島原市第四国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 島原市 |
併合学校 |
公立下等山泉小学校 公立下等眉山小学校 |
設立年月日 | 1874年(明治7年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210000670 |
所在地 | 〒855-0071 |
長崎県島原市宇土町乙670番1号 | |
外部リンク | https://4sho.shimabara-edu.com/ |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
島原市立第四小学校(しまばらしりつ だいよんしょうがっこう)は、長崎県島原市宇土町乙にある公立小学校。略称「島四小」・「第四小」・「四小」。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に創立。2014年(平成26年)に創立140周年を迎えた。1991年(平成3年)から数年間雲仙普賢岳の噴火活動により、仮設校舎での授業や分校の廃止、校地の移転を余儀なくされた。
- 学校教育目標
- 「やさしく かしこく たくましい 杉谷っ子の育成」
- 校章
- 1976年(昭和51年)に創立100周年を記念して制定された。中島勝義によるデザイン。旧校名でもあり、地区の名称でもある「杉谷」にちなみ、杉の木を図案化したもの。中央に校名の「四」の文字を置いている。
- 校歌
- 1954年(昭和29年)に制定。作詞は宮崎耿平、作曲は寺崎良平による。歌詞は2番まであり、両番に地区名(旧校名)の「杉谷」が登場する。現校名は登場しない。
沿革
[編集]- 1871年(明治4年)- 廃藩置県により、旧島原藩領地は島原県に属することとなる。間もなく島原県は長崎県に統合される。
- 1872年(明治5年)8月 - 学制が頒布される。
- 1874年(明治7年)10月30日 - 高来郡杉谷村字杉山に「第五大学区 第三中学区[2]杉山小学校」が創立[3]。
- 1877年(明治10年)
- 2月 - 杉谷村字山寺に「第五大学区 第三中学区 山泉小学校」が開校。
- この年 - 学区が改正され、杉山・山泉ともに「第五大学区 第二中学区[4]」に属する小学校となる。
- 1878年(明治11年)- 郡制に施行により、高来郡が南北に分かれて「長崎県 南高来郡」に属する小学校となる。
- 12月 - 学区が改正され、杉山・山泉ともに「南高来郡 島原部」に属する小学校となる。
- 1879年(明治12年)- 教育令の施行により、「公立下等杉山小学校」・「公立下等山泉小学校」に改称。
- 1881年(明治14年)- 杉山村に「公立下等眉山小学校」が開校。
- 1884年(明治17年)11月 - 杉山小学校と山泉小学校が統合され、「南高来郡 島原部 公立中等杉谷小学校」に改称。眉山小学校を統合し眉山分校とする。
- 校舎を字宇土に設置。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、「尋常杉谷小学校」に改称(修業年限4年)。眉山分校を廃止。
- この時、島原村に「長崎県第八高等小学校」が設置され、尋常小学校を卒業し高等小学校進学を希望する者は通学することとなる。
- 1888年(明治21年)9月 - 馬場に移転。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、杉谷村立の小学校となる。
- 1892年(明治25年)
- 4月 - 小学校令の改正により「杉谷尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 5月 - 長崎県第八高等小学校が廃止され、組合立島原高等小学校が設立される。
- 1908年(明治41年)
- 1912年(明治45年)4月1日 - 高等科を併置の上、「杉谷尋常高等小学校」に改称(尋常科6年・高等科2年)。尋常科6年を新設。
- 1914年(大正3年)11月29日 - 児童数が増加し校舎がせまくなったため、新校舎が完成。
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)4月 - 木造校舎4教室を増築。
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 島原町・杉谷村・安中村が合併し島原市が発足。これにより島原市立の小学校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「島原市杉谷国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 間もなく「島原市第四国民学校」に改称。
- 1944年(昭和19年)10月4日 - 新校舎(第一棟)が完成。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)6月19日 - 校舎を増築。
- 1951年(昭和26年)3月14日 - 学校給食を開始。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1957年(昭和32年)7月25日 - 諫早・島原大水害で中尾川が増水し校舎西側から運動場北側にかけて護岸が流失し、大きな被害が出る。
- 1960年(昭和35年)8月24日 - 学級園・西側砂場が完成。
- 1967年(昭和42年)5月1日 - 給食のミルクを粉乳から生乳に切り替える。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)
- 1971年(昭和46年)1月13日 - 折橋分校、給食調理室からの出火で全焼。
- 1972年(昭和47年)2月14日 - 折橋分校の新校舎が完成。
- 1974年(昭和49年)1月23日 - 交通コーナーが完成。
- 1976年(昭和51年)
- 1983年(昭和58年)11月16日 - 全学級にテレビを設置。
- 1984年(昭和59年)- 運動場を整備。
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)11月17日 - 雲仙普賢岳が噴火活動を開始。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)9月10日 - 長崎大学から火山被害調査団が来校。
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)7月20日 - 1学期末をもって折橋分校を廃止[5]。
- 1996年(平成8年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)1月9日 - 「ふれあいの池」が完成。
- 2003年(平成15年)
- 2009年(平成21年)7月13日 - AEDを設置。
- 2010年(平成22年)3月 - 電子黒板を導入。
- 2013年(平成25年)6月 - 運動場の芝生化を開始。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 島鉄バス 島原市内線など「杉谷公民館前」バス停
- 最寄りの国道・県道
- 国道251号(がまだすロード)
- 長崎県道58号愛野島原線(がまだすロード)
周辺
[編集]- 杉谷郵便局
- 杉谷公民館
- 長崎県立島原工業高等学校
- 長崎県立島原農業高等学校
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「島原の歴史 自治制編」(1976年(昭和51年)12月1日, 島原市役所)p.169
- 「長崎県教育史 資料編」(1976年(昭和51年)11月1日, 長崎県教育委員会)
- 「長崎新聞に見る 長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「島原市」