岩津駅
表示
岩津駅 | |
---|---|
いわづ IWAZU | |
◄三河岩脇 (2.3 km) (1.3 km) 大樹寺► | |
所属事業者 | 名古屋鉄道(名鉄) |
所属路線 | 挙母線 |
キロ程 | 8.7 km(上挙母起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
820人/日(降車客含まず) -1972年[1]- |
開業年月日 | 1924年(大正13年)12月27日 |
廃止年月日 | 1973年(昭和48年)3月4日 |
岩津駅(いわづえき)は、かつて愛知県岡崎市東蔵前町にあった、名鉄挙母線の駅。
旧・額田郡岩津町(現・岡崎市)の中心駅であり、岩津天満宮の参詣駅であった。
歴史
[編集]- 1924年(大正13年)12月27日 - 岡崎電気軌道が岡崎井田 - 大樹寺 - 門立間を開通させた際に開業。
- 1927年(昭和2年)7月19日 - 岡崎電気軌道が三河鉄道に吸収合併される。
- 1929年(昭和4年)12月18日 - 大樹寺 - 上挙母間が岡崎線となり、同線の駅となる。
- 1941年(昭和16年)6月1日 - 三河鉄道が名古屋鉄道に吸収合併され、同社岡崎線の駅となる。
- 1948年(昭和23年)5月16日 - 岡崎線が挙母線に改称する。
- 1961年(昭和36年)度 - 貨物営業廃止[2]。
- 1966年(昭和41年)2月12日 - 列車交換設備撤去[3]。
- 1973年(昭和48年)3月4日 - 挙母線の全線廃止により廃駅。
駅構造
[編集]配線図
[編集] ← 上挙母方面 |
→ 大樹寺方面 |
|
凡例 出典:停車場配線略図 昭和32年調査[5] |
利用状況
[編集]『愛知県統計書』『愛知県統計年鑑』『岡崎市史』等によると、年間および一日平均の乗車人員、乗降人員の推移は以下の通りである。
年 | 年間統計 | 一日平均 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
乗車人員 | 乗降人員 | 乗車人員 | 乗降人員 | ||
1930(昭和 | 5)年度55,764 | 119,776 | 153 | 328 | [6] |
1931(昭和 | 6)年度47,260 | 102,236 | 129 | 279 | [7] |
1932(昭和 | 7)年度|||||
1933(昭和 | 8)年度45,821 | 101,984 | 126 | 279 | [8] |
1934(昭和 | 9)年度47,430 | 97,734 | 130 | 268 | [9] |
1935(昭和10)年度 | 39,722 | 101,695 | 109 | 278 | [10] |
1936(昭和11)年度 | 38,089 | 108,834 | 104 | 298 | [11] |
1937(昭和12)年度 | 97,692 | 177,928 | 268 | 487 | [12] |
1938(昭和13)年度 | 50,468 | 117,756 | 138 | 323 | [13] |
1939(昭和14)年度 | 82,827 | 164,513 | 226 | 449 | [14] |
1940(昭和15)年度 | 99,026 | 199,545 | 271 | 547 | [15] |
1941(昭和16)年度 | |||||
1942(昭和17)年度 | |||||
1943(昭和18)年度 | |||||
1944(昭和19)年度 | |||||
1945(昭和20)年度 | |||||
1946(昭和21)年度 | |||||
1947(昭和22)年度 | |||||
1948(昭和23)年度 | |||||
1949(昭和24)年度 | 414,000 | 860,000 | *1,134 | *2,356 | 期間は1949年5月 - 1950年4月末[16] |
1950(昭和25)年度 | 325,000 | 650,000 | *890 | *1,781 | 期間は1949年11月 - 1950年10月末[17] |
1951(昭和26)年度 | 261,000 | 526,000 | *713 | *1,437 | [18] |
1952(昭和27)年度 | 183,375 | 375,456 | 502 | 1,028 | [19][20] |
1953(昭和28)年度 | 152,000 | 308,000 | 417 | 840 | [21] |
1954(昭和29)年度 | 136,000 | 270,000 | 373 | 740 | [22] |
1955(昭和30)年度 | 128,696 | 254,518 | 352 | 696 | [19][23] |
1956(昭和31)年度 | 131,000 | 261,000 | 359 | 715 | [24] |
1957(昭和32)年度 | 140,000 | 278,000 | 384 | 762 | [25] |
1958(昭和33)年度 | |||||
1959(昭和34)年度 | |||||
1960(昭和35)年度 | 140,819 | 280,674 | [19] | ||
1961(昭和36)年度 | |||||
1962(昭和37)年度 上半期 | 405 | [26] | |||
1963(昭和38)年度 | |||||
1964(昭和39)年度 | |||||
1965(昭和40)年度 | 219,685 | 441,293 | [19] | ||
1966(昭和41)年度 | |||||
1967(昭和42)年度 | 522 | [26] | |||
1968(昭和43)年度 | |||||
1969(昭和44)年度 | |||||
1970(昭和45)年度 | 170,049 | 339,809 | [19] | ||
1971(昭和46)年度 | |||||
1972(昭和47)年度 | 820 | [26] | |||
1973(昭和48)年度 |
斜体の値は千人単位(千人未満四捨五入)
* 千人単位からの概算値
乗降客は多かったという。また初天神の日は岩津天満宮への参詣者で賑わったという。挙母線の特急停車駅(特別停車駅)であった。
その他
[編集]- 旧・岩津駅周辺は区画整理が行われ、駅の痕跡は無い。駅の跡地は岩津郵便局の北付近であり、民有地となっている。
隣の駅
[編集]三河岩脇駅 - 岩津駅間に八ツ木駅、岩津駅 - 大樹寺駅間に百々駅があったが、1969年4月5日に廃駅となっている。
脚注
[編集]- ^ 市川満「姿を消した岡崎の名鉄線」『鉄道ピクトリアル』第370巻、電気車研究会、1979年12月、141頁。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、340頁。
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1018頁。
- ^ 生田誠『名鉄の支線、廃線』 上巻、アルファベータブックス、2020年、154頁。ISBN 978-4865988611。
- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 下巻』アルファベータブックス、2019年、185頁。ISBN 978-4865988482。
- ^ 『愛知県統計書. 昭和5年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和6年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和8年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和9年 第1編 土地、戸口、其他』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和10年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和11年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和12年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和13年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和14年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和15年 第1編 土地、戸口、其他』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和24年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和27年刊行』、愛知県、1952年、331頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和28年刊行』、愛知県、1953年、315頁
- ^ a b c d e 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史 11 史料現代』、岡崎市、1983年、728頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和29年刊行』、愛知県、1954年、334頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和30年刊行』、愛知県、1955年、310頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和31年刊行』、愛知県、1956年、307頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和32年刊行』、愛知県、1957年、323頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和33年刊行』、愛知県、1958年、339頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和34年刊行』、愛知県、1959年、383頁
- ^ a b c 市川満「姿を消した岡崎の名鉄線」『鉄道ピクトリアル』第370巻、電気車研究会、1979年、141頁