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岩崎忠義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩崎 忠義
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県津久見市
生年月日 (1948-09-12) 1948年9月12日(76歳)
身長
体重
178 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1966年 第2次ドラフト2位
初出場 1967年6月13日
最終出場 1981年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岩崎 忠義(いわさき ただよし、1948年9月12日 - )は、大分県[1]出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

来歴・人物

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津久見高では、同期のエース三浦保雄を擁し、三塁手として2年次の1965年、3年次の1966年夏の甲子園国体に連続出場。1965年の夏の選手権は準々決勝に進むが、秋田高に大敗[2]。同年秋の岐阜国体は準決勝で、岐阜短大付高淵上澄雄に抑えられ敗退。

1966年の夏の選手権は、1回戦で荒武康博がいた報徳学園に敗退[2]。同年秋の大分剛健国体では決勝に進むが、松山商西本明和に完封を喫し準優勝にとどまる。1年下のチームメートに、控え投手吉良修一がいた。

同年の第2次ドラフト2位で、東京オリオンズへ入団[1]。外野手に転向し右の強打者として大きく期待される。二軍暮らしが長かったが1968年オフにはサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1A・フレズノに留学するなど徐々に力を付け活躍し、1974年中日との日本シリーズでは第4戦から1番・右翼手に抜擢され、16打数6安打2打点を記録して日本一に貢献。1976年には主に2番・右翼手として68試合に先発出場を果たすが、1977年以降はレロン・リー白仁天の入団もあって出場機会が減り、1980年には自由契約となり翌年の合同自主トレに参加した日本ハムに春季キャンプ直前になって移籍[1]。ここでもあまり出番がなく、1981年限りで現役を引退[1]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1967 東京
ロッテ
9 7 7 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .143 .143 .143 .286
1968 11 4 4 2 2 0 0 1 5 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .500 .500 1.250 1.750
1969 54 20 17 3 3 0 0 0 3 1 0 1 1 1 1 0 0 2 1 .176 .211 .176 .387
1970 62 46 42 7 13 2 0 1 18 4 3 2 1 0 3 0 0 7 1 .310 .356 .429 .784
1971 67 35 34 6 9 3 0 0 12 5 1 1 1 0 0 0 0 5 0 .265 .265 .353 .618
1972 57 57 53 10 15 1 0 0 16 7 0 2 0 0 4 0 0 5 1 .283 .333 .302 .635
1973 83 111 105 13 31 7 0 1 41 12 8 4 4 0 2 0 0 6 6 .295 .308 .390 .699
1974 85 172 150 15 41 6 2 0 51 6 3 3 6 1 14 0 1 11 5 .273 .337 .340 .677
1975 109 274 244 24 61 7 0 4 80 24 8 3 8 1 19 0 2 27 4 .250 .308 .328 .636
1976 116 331 294 31 74 11 0 4 97 19 5 4 9 1 26 0 0 36 11 .252 .312 .330 .641
1977 95 169 159 17 34 4 1 2 46 8 0 1 8 0 2 1 0 28 4 .214 .224 .289 .513
1978 104 177 161 12 31 2 0 1 36 13 3 3 7 0 9 0 0 26 3 .193 .235 .224 .459
1979 44 34 30 6 4 0 0 1 7 2 0 1 1 0 3 0 0 3 1 .133 .212 .233 .445
1981 日本ハム 20 25 23 3 5 1 1 0 8 2 0 0 0 1 1 0 0 6 2 .217 .240 .348 .588
通算:14年 916 1462 1323 150 324 44 4 15 421 104 31 25 46 5 84 1 3 165 39 .245 .290 .318 .609
  • 東京(東京オリオンズ)は、1969年にロッテ(ロッテオリオンズ)に球団名を変更

記録

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背番号

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  • 32 (1967年 - 1971年)
  • 4 (1972年)
  • 35 (1973年 - 1974年)
  • 7 (1975年 - 同年途中)
  • 15 (1975年途中 - 1980年)
  • 49 (1981年)

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、69ページ
  2. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

外部リンク

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