岡田陽
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岡田 陽(おかだ あきら、1923年3月11日[1] - 2009年11月26日[2])は、日本の児童演劇研究者。玉川大学名誉教授。学校劇、演劇教育の専門家。
鳥取県出身[2]。岡田資陸軍中将(戦後、B級戦犯として処刑された)の長男[2]として生まれる。玉川工業専門学校(現玉川大学)卒。玉川学園創立者小原國芳の次女純子(石井漠に師事し、戦後玉川学園で舞踊・リトミック教育者として活動。岡田資を描いた大岡昇平原作・小泉堯史監督の映画『明日への遺言』では子息とその婚約者として登場)と結婚[3][4][5]。玉川学園中学部長・高等部長を経て玉川大学教授、文学部次長、名誉教授。在職中は玉川大学文学部芸術学科を創設。演劇専攻、児童専修課程などを創設。長男は教育者岡田洋介、長女は舞踊教育者玉川まや子。2004年日本児童演劇協会賞受賞。多数の学校劇脚本を著し、演劇教育論の海外からの移入に尽力し、演劇関係者(俳優・演劇教育者)を育成した。青山円形劇場建設に際して基本設計に関与した。
著書
[編集]- 『アンデルセン』玉川こども百科 玉川大学出版部 1953
- 『日本どうわ』玉川こども百科 玉川大学出版部 1953
- 『グリム』玉川こども百科 誠文堂新光社 1954
- 『ドラマと全人教育』玉川大学出版部 1985
- 『子どもの表現活動』玉川大学出版部 1994
編纂・共著
[編集]- 『玉川学校劇集』全10 編 玉川大学出版部 1952-56
- 『えんげき』編 玉川こども百科 誠文堂新光社 1955
- 『ぼくらの学校』編 玉川こども百科 誠文堂新光社 1960
- 『偉人物語』編 玉川こども百科 誠文堂新光社 1960
- 『演劇と舞踊 玉川教育』岡田純子共編 玉川大学出版部 1964
- 『南ギリシャを行く』編 玉川大学出版部 1973
- 『玉川中学校劇集』全3巻 落合聡三郎共編 玉川大学出版部 1980
- 『新しい学校劇』落合聡三郎共編 玉川大学出版部 1985
- 『子どもの表現と劇遊び』編 フレーベル館 1988
- 『たのしい劇あそび! 子どものいきいきとした活力をひきだす』日本児童福祉協会 1989
- 『学校劇選集』全3巻 落合聡三郎共編 玉川大学出版部 1993
- 『朗読劇台本集』全5巻 編 玉川大学出版部 1996-2002
翻訳
[編集]- 『アンデルセン童話選集』編 玉川大学出版部 1948 小学図書館叢書
- ジェラルディン・B.シックス『子供のための創造教育』高橋孝一共訳 玉川大学出版部 1973
- メーテルリンク『青い鳥』玉川大学出版部 1975 玉川こども図書館
- ブライアン・ウェイ『ドラマによる表現教育』高橋美智共訳 玉川大学出版部 1977
- ジェラルディン・B.シックス『子供のための劇教育』北原亮子共訳 玉川大学出版部 1978
- メルビン・ホワイト,レスリー・コーガー『朗読劇ハンドブック』大園美友紀共訳 玉川大学出版部 1989
作詞
[編集]- 「小さい花」「さようならみなさま」(柳沢昭作曲)[6]
脚注
[編集]- ^ 花輪充・川合沙弥香「岡田陽が探究した芸術教育の意義 : 豊かな感性の育成を目指した演劇教育に着目して」『東京家政大学博物館紀要』2017年2月、p.13(2021年2月17日閲覧)
- ^ a b c “岡田陽氏死去 玉川大名誉教授”. 47news. 2013年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月8日閲覧。
- ^ “玉川豆知識 No.37 大岡昇平と小原國芳”. 玉川学園. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “玉川の舞踊教育”. 玉川学園. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “玉川豆知識 No.85 戦後まもなくつくられた「玉川音頭」、72年ぶりに復活”. 玉川学園. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “玉川豆知識 No.31 玉川の丘で生まれた歌『小(ち)さい花』”. 玉川学園. 2020年11月8日閲覧。
参考
[編集]- 追悼 岡田陽先生[含 略歴]『児童演劇』2010-01-25
- 読売新聞訃報
- 法月敏彦「小原國芳学校劇の100年」