山香二郎吉
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山香 二郎吉(やまが じろきち、1867年3月31日(慶応3年2月26日[1])- 1936年(昭和11年)1月21日[2])は、日本の裁判官、検察官。大審院(現最高裁判所)判事などを務めた。
経歴
[編集]広島藩士・黒田謙蔵の二男として生まれる。1875年旧広島藩士・山香興一の養子となる。広島藩校の後裔である修道学校(現:修道中学校・高等学校)で山田十竹らに学ぶ[3]。1884年司法省法学校(現:東京大学法学部)の学生募集をうけ、手島兵次郎らと共に上京し入学。1892年同校を卒業(第四期生)し司法部に入職。その後、広島控訴院(現:広島高等裁判所)判事などを歴任し、大審院(現:最高裁判所)判事となる。30年以上大審院判事および検事を務め退職[4]。