手島兵次郎
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手島 兵次郎(てしま へいじろう、1868年10月22日(明治元年9月7日[1]) - 1918年(大正7年)6月19日)は、日本の検察官、官僚。台湾総督府法務部長、覆審法院検察官長を歴任した。また台湾法制起草委員なども務め、台湾の法制度整備に尽くした。
経歴
[編集]1868年(明治元年)広島県で広島藩士・手島政資の二男として生まれる[1]。広島藩校の流れを汲む修道学校(現:修道中学校・高等学校)で山田十竹らに学ぶ[2]。1884年司法省法学校(現:東京大学法学部)に入学。1892年同校卒業(第四期生)。その後、盛岡、仙台、横浜、名古屋の裁判所で検察官を歴任し、1899年東京高等法院の検察官となる。台湾が日本領になると渡台し、1901年台湾総督府法院判官に就任。以後、台湾総督府民政部総務局法務課長、民政部法務部長,覆審法院検察官長などを歴任。また台湾法制起草委員等の要職を務め、台湾の法制度整備に尽力する。台湾に16年間在住し、1918年逝去[3]。
栄典
[編集]著書
[編集]- 『台湾制度大要』(日本警察新聞社、1911年)
- 『刑法各論』(東京専門学校出版部、1900年)