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山木勝博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山木 勝博
名前
カタカナ ヤマキ カツヒロ
ラテン文字 YAMAKI Katsuhiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1970-04-16) 1970年4月16日(54歳)
出身地 熊本県
身長 169cm[1]
体重 61kg[1]
選手情報
ポジション FW
ユース
1986-1988 日本の旗 国見高校
1989-1991 日本の旗 駒澤大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992 日本の旗 住友/鹿島アントラーズ 5 (0)
通算 5 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山木 勝博(やまき かつひろ、1970年4月16日 - )は熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード

来歴

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長崎県立国見高等学校では1学年上に二宮浩吉田裕幸、同期に永井秀樹、1学年下に原田武男らがいる[2]。2年時の高校総体では準優勝[2]。冬の高校選手権第66回)では、決勝の東海大学第一高校戦において決勝点となるボレーシュートを決め、同校の初優勝に貢献した[2][3]。大会後には優秀選手に選ばれ、日本高校選抜の欧州遠征に参加した[2]。3年時の高校選手権(第67回)ではベスト8に終わったが前年に続き優秀選手に選ばれた[2]

高校卒業後に駒澤大学へ進学したが、その後中退し、1992年に日本サッカーリーグ2部の住友金属工業蹴球団に加入[4]岡本賢二(元読売クラブ)と共にシーズン途中での加入となった[4]。同年2月26日に行われた1991-92シーズンJSL2部第23節の川崎製鉄戦でデビュー[5]。同年3月8日に行われた25節のNTT関東戦で1アシストを決めるなど5試合に出場した[5]。プロ化により鹿島アントラーズへと移行後もチームに在籍したが[1]、翌1993年のJリーグ開幕前に退団した[6]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1991-92 住金 22 JSL2部 5 0 0 0 0 0 5 0
1992 鹿島 - J - 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J 5 0 0 0 0 0 5 0
総通算 5 0 0 0 0 0 5 0

脚注

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  1. ^ a b c 「Jリーグ・カップ登録メンバーリスト」『サッカーマガジン』 1992年10月号、ベースボール・マガジン社、86頁。 
  2. ^ a b c d e 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー100年』講談社、2019年、178-180,269-270頁。ISBN 978-4-06-220356-2 
  3. ^ 国見が初優勝 小嶺監督ゲキ「純白で戦え」白ユニのジンクス吹き飛ばした」『日刊スポーツ日刊スポーツ新聞社、1988年1月9日。2024年1月25日閲覧。
  4. ^ a b 「Jリーグフォーラム」『サッカーマガジン』 1992年5月号、ベースボール・マガジン社、128頁。 
  5. ^ a b 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、256頁。 
  6. ^ 「JSL NOW」『ストライカー』 1993年1月7日号、学習研究社、134頁。 

関連項目

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外部リンク

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