岡本賢二
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名前 | ||||||
カタカナ | オカモト ケンジ | |||||
ラテン文字 | OKAMOTO Kenji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1971年5月15日(53歳) | |||||
出身地 | 福岡県 | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
1987-1989 | 東海大学第五高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1991 | 読売クラブ | 0 | (0) | |||
1991-1994 | 住友/鹿島アントラーズ | 3 | (0) | |||
1995 | 京都パープルサンガ | |||||
通算 | 3 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
岡本 賢二(おかもと けんじ、1971年5月15日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手[1]。現役時代のポジションは、フォワード。
来歴
[編集]東海大学第五高校(のちの東海大学付属福岡高校)から1990年に日本サッカーリーグ1部の読売サッカークラブに入団し1シーズン所属(出場なし)したのち、同2部の住友金属工業蹴球団に移籍した。住友金属が母体となった鹿島アントラーズにはJリーグ開幕を挟んで1994年シーズンまで所属した。1995年は、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)所属の京都パープルサンガでプレーした。引退後はサッカー指導者となり、神奈川県のサッカースクールで活動している[2]。
プレーの特徴
[編集]1992年のJリーグオフィシャル書籍では、「大柄ながらどの体勢からでもシュートを打てる柔軟性あり。」と紹介された[1]。
所属クラブ
[編集]- 東海大学第五高校
- 1990年-1991年 読売クラブ
- 1991年-1994年 住友金属/鹿島アントラーズ
- 1995年 京都パープルサンガ
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | 読売 | 22 | JSL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
1991-92 | 住金 | 32 | JSL2部 | 3 | 0 | 0 | 0 | ||||
1992 | 鹿島 | - | J | - | 0 | 0 | |||||
1993 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1994 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1995 | 京都 | 旧JFL | - | ||||||||
通算 | 日本 | Jリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
日本 | JSL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
日本 | JSL2部 | 3 | 0 | 0 | 0 | ||||||
日本 | 旧JFL | - | |||||||||
総通算 |
出場歴[3]
- JSL(2部)初出場:1992年3月8日 第25節 対NTT関東戦(住友金属鹿島総合グラウンド)
参考資料
[編集]各シーズンの所属クラブ/背番号/出場・得点記録の出典[3]
脚注
[編集]- ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド 1992-1993』小学館、1992年9月20日、028-029頁。
- ^ “STAFF : スタッフ紹介 神奈川県横話都筑区・青葉区MKFC/MKSS”. MKサッカースクール・フットボールクラブ. 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b
- 『1990-1991JSLイヤーブック』南雲堂、1990年、23頁。ISBN 4-523-31032-7。
- 『1991-1992JSLイヤーブック』南雲堂、1991年、19頁。ISBN 4-523-31033-5。
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 岡本賢二 - WorldFootball.net
- 岡本賢二 - Transfermarkt.comによる選手データ