山形県立山形南高等学校
山形県立山形南高等学校 | |
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北緯38度14分30.6秒 東経140度20分46.9秒 / 北緯38.241833度 東経140.346361度座標: 北緯38度14分30.6秒 東経140度20分46.9秒 / 北緯38.241833度 東経140.346361度 | |
過去の名称 |
山形県立山形第二中学校 山形県立山形第二高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形県 |
学区 | 山形県東 |
設立年月日 | 1941年4月8日 |
創立記念日 | 10月8日 |
共学・別学 |
男女共学(制度上) 男女別学(男子校、事実上)[1] |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 理数科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D106220150034 |
高校コード | 06102G |
所在地 | 〒990-0034 |
山形県山形市東原町四丁目6番16号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
山形県立山形南高等学校(やまがたけんりつ やまがたみなみこうとうがっこう、英: Yamagata Prefectural Yamagata South High School)は、山形県山形市東原町四丁目にある県立高等学校。
略称は「山形南」、「山南」(やまなん)。山形市近辺では「南高」(なんこう)とも呼ばれている。
概要
[編集]1941年(昭和16年)創立の「山形県立山形第二中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となった。
現校名になったのは1950年(昭和25年)。校名改称と同時に男女共学を実施して以来山形西高と分離したものの、制度上は「男女共学」のままであった。1962年度までは複数の女子生徒が在籍したが、それ以降一時不在となり、1972年度に女性編入者が在籍・卒業して以降、女子生徒が在籍した事実は長らく無かったが、2016年に一般入試で44年ぶりに女子が合格したと発表された[2]。
制服は男子は男子校の伝統でもある金ボタン5個の黒詰襟学生服(標準学生服)で右襟に校章を形どった襟章を付ける。女子はセーラー服である。
また、南高会館内に学食も設置している。2021年(令和3年)に創立80周年を迎えた。
全国高等学校クイズ選手権の第1回大会(1983年)優勝校でもある。
- 校是
- 「文武両道・質実剛健・師弟同行」[3]
- 教育目標
- 創造的知性を身につけた人間を育てる
- たくましい、健全な心身をもった人間を育てる
- 情操豊かな、思いやりのある人間を育てる
- 広い視野を持ち、自主的、自律的に行動できる人間を育てる[3]
- 校章
- 1950年(昭和25年)に制定。彫刻家の服部不二之によってデザインされた[4]。勉学と飛躍を象徴する羽根ペンを2枚重ねたものを背景にして、中央に赤色篆書体の「南高」の文字(縦書き)を置いている。
歴史
[編集]山形市及び周辺農村の人口増加と経済向上に伴い中等教育への関心が高まり、従来の「山形中学校」(現在の山形県立山形東高等学校)1校だけでは入学困難が叫ばれていた[6]。1938年(昭和13年)6月の山形市会で県立中等学校を山形市内に1校増設するよう意見書を議決したが、当時の山形県の財政の都合上容易には実現しなかった[6]。
1940年(昭和15年)に山形県は総経費30万円のうち20万円を受益地元で負担するなら増設するとしたが、山形市は20万円の単独負担は困難だとして山形県との交渉を続けた[6]。しかし、精査の結果建築費は56万円を要することが明らかとなった[6]。
最終的には、建築費56万円の半額の28万円を地元負担とし、その3分の1を山形市、3分の1を村山郡の各町村、3分の1を寄付で負担することとして山形県立山形第二中学校が建設され、1942年(昭和17年)10月8日に開校式をあげ[6]、同日を創立記念日とした。
1941年(昭和16年)の開校から翌年の開校式までは、山形市小白川町の元山形市第六小学校の校舎を仮校舎としていた。
年表
[編集]- 旧制中学校時代
- 1941年(昭和16年)4月8日 - 「山形県立山形第二中学校」が開校[7]。
- 1942年(昭和17年)10月8日 - 開校式挙行[6][9]。同日を創立記念日とする。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。生徒定員800名[8]。
- 1944年(昭和19年)- 勤労動員が開始。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、4年生の卒業式を挙行。
- 本来、修業年限4年が施行されるのは中等学校令が施行された1943年(昭和18年)4月に入学した生徒が4年を修了する1947年(昭和22年)3月であったが、戦況の悪化により中等学校令施行前の1941年(昭和16年)以降に入学した生徒にも修業年限4年が適用されることになった。これにより、1941年(昭和16年)入学の4年生の卒業式が行われた。
- 4月1日 - 学校での授業を停止。ただし勤労動員は継続。
- 8月 - 終戦。
- 9月 - 授業を再開。
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、4年生の卒業式を挙行。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校「山形県立山形第二高等学校[注釈 1]」(男子校)が発足[7][9]。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承し(名称:山形県立山形第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 通常制普通課程(修業年限3年)を設置。
- 生徒定員750名[9]
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 高校三原則に基づく高校再編により、山形県立山形第四高等学校と統合され、「山形県立山形南高等学校」(現校名)が発足[7]。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 統合が解消され、山形県立山形西高等学校が分離独立[7]。生徒定員を900名に改める[9]。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 生徒定員を1050名に改める[9]。
- 12月8日 - 体育館兼講堂竣工[9]。
- 1965年(昭和40年)1月20日 - 生徒会発足。校友会廃止[9]。
- 12月31日 - 剣道場竣工[9]
- 1966年(昭和41年)冬季走路竣工[9]。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 理数科(1学級)を設置[7]。生徒定員普通科900名 理数科135名[9]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1977年(昭和52年)2月 - 校旗を制定[7]。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)2月 - 第二体育館が完成[7][12]。
- 1989年(平成元年)4月 - 第一体育館が完成[7]。
- 1995年(平成7年)3月 - 家庭科棟が完成[7]。
年中行事
[編集]- 4月
- 南東定期戦
- 7月
- クラスマッチ(夏季)
- 理数科合宿学習会(1・2年理数科)
- 蔵王で行われる。
- 8月
- 南高祭
- 学校の所在する山形市の東部(主に市内東沢地区)において開催される校内マラソン大会。コースは約10kmで、1~3年まで全員参加する。
- 12月
- 海外研修旅行(2年生)
- 2020年度に修学旅行から改称し国内から海外へと行き先が変更となった[注釈 2]。行き先は普通科が台湾、理数科がシンガポールである。
- 2019年度までは京都、奈良方面に4泊5日の日程で行われ、3・4日目には京都市内を各班ごと日程を決めて活動する「班別自主研修」などが行われていた。
- 筑波研修(1年理数科)
- 筑波などで2泊3日の日程で行われる。
- 2月
- クラスマッチ(冬季)※1,2年生のみ
部活動
[編集]- 運動部
- 野球、バスケットボール、バレーボール、卓球、ソフトテニス、水泳、柔道、山岳、バドミントン、サッカー、レスリング、陸上競技、剣道、弓道、合気道、ラグビー、ボクシング、ハンドボール、硬式テニス、 応援団[14]
- 文化部
- 文芸、映画演劇、科学、書道、美術、写真、新聞、吹奏楽、囲碁[14]
著名な関係者
[編集]- 出身者
- 相澤嘉久治(放送作家)[15]
- 本間ドミノ先生 (THE BOHEMIANS・キーボード) [16]
- 千葉オライリーと無法の世界 (THE BOHEMIANS・ドラムス) [16]
- 会田豊彦(プロ野球選手)
- 會田雄亮(陶芸家、元東北芸術工科大学学長)[17]
- あがすけ(お笑いコンビ)[18]
- 大石真弘(NHKアナウンサー)
- 奥山貴宏(フリーライター)
- 柏倉哲平(プロバスケットボール選手、滋賀レイクスターズ)
- 加藤武治(プロ野球選手、北海道日本ハムファイターズ投手)
- 古池雄(青森放送元アナウンサー)
- 小柴大造(ミュージシャン)
- 佐藤稔浩(元バスケットボール選手、日立サンロッカーズ)
- 佐藤優(山形テレビ元アナウンサー)
- 斯波正樹(スノーボード選手、2018年平昌オリンピック代表)[19]
- 高橋節(元山形県副知事、元山形県スポーツ振興21世紀協会理事長、元モンテディオ山形社長)
- 滝口光則(プロ野球選手)
- 多田竜也(理学療法士、TBS『SASUKE』有力選手)
- 芳賀徹(比較文学者、東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長)
- 林部智史(歌手)
- 前田悟(プロバスケットボール選手、富山グラウジーズ)
- 松田利仁亜(NHKアナウンサー)
- 村川千秋(指揮者)
- 村川透(映画監督)[20]
- 吉田敏明(元バレーボール女子米国代表監督、現上尾メディックス監督)
- 吉村和夫(元山形市長)
- 菅野淳(サッカー指導者)
- 山本信治(天童市長)
- 渡邊岳已(脚本家)
- 照井健(フリーアナウンサー、元IBC岩手放送アナウンサー)
- 結城多聞(アンダーエイジ、たもん)
- 教職員
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 山形第一高等学校(前・旧制中学校、現・山形県立山形東高等学校)、山形第三高等学校(前・工業学校、現・山形工業高等学校)、山形第四高等学校(前・高等女学校、現・山形西高等学校)、山形第五高等学校(前・高等女学校、現・山形県立山形北高等学校
- ^ 2020年度及び2021年度はCOVID-19の感染拡大の影響により海外から国内へ行き先が変更された。
- ^ 山交バスと宮城交通の共同運行路線である仙台 - 山形線は山形駅前行きに限り市内乗降可能を認めているため、当バスでの乗降が可能。仙台行きはクローズドドアシステムが採用されているため、当バス停での降車ができない。 山交バスと庄内交通の共同運行路線である山形 - 鶴岡・酒田線は全区間で乗降制限がないため、当バス停での乗降が可能。
出典
[編集]- ^ “山形県学校名鑑(県内各学校の教員数・児童生徒数・所在地等)”. 山形県. 山形県 (2022年11月30日). 2023年2月10日閲覧。
- ^ 「山形)「事実上の男子校」山形南高に女子1人合格」『朝日新聞デジタル』2016年3月19日。オリジナルの2016年3月22日時点におけるアーカイブ。2021年2月2日閲覧。
- ^ a b “令和3年度 学校案内” (PDF). 山形県立山形南高等学校. p. 2. 2022年10月23日閲覧。
- ^ a b c “校歌・校章 - 山形県立山形南高等学校”. www.yamanan-h.ed.jp. 2021年2月28日閲覧。
- ^ JASRAC. 1907790-901. 2019年5月22日照会
- ^ a b c d e f 山形市教育史編集委員会「第二中学校設置」『山形市教育史』 第2巻、山形市教育委員会、山形、1971年、110-111頁。
- ^ a b c d e f g h i j “沿革 - 山形県立山形南高等学校”. www.yamanan-h.ed.jp. 2021年2月28日閲覧。
- ^ a b 「山形 県立山形第二中学校」『設置廃止(位置変更、改称)に関する許認可文書・中学校・福島県、山形県』文部省、32頁 。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『生徒手帳2020 山形県立山形南高等学校』株式会社ラーンズ、2020年、6-9頁。
- ^ 「OBがでっかい贈り物 山南高の記念講堂完成 卒業式で使い初め 3年がかりで資金集め」『山形新聞』1982年3月16日、11面。
- ^ 「母校愛のシンボルに 山形南高で記念講堂の落成式」『山形新聞』1982年5月2日、13面。
- ^ a b 「新校舎の完成祝う 山南高,さらなる飛躍へ」『山形新聞』1983年8月25日、13面。
- ^ “令和2年度 学校案内” (PDF). 山形県立山形南高等学校. p. 8. 2021年2月26日閲覧。
- ^ a b “令和4年度 学校案内” (PDF). 山形県立山形南高等学校. p. 5. 2023年11月4日閲覧。
- ^ “あなたのそばに(5)「山形の天皇」と闘った劇作家”. 朝日新聞デジタル. (2013年5月13日). オリジナルの2013年10月20日時点におけるアーカイブ。 2013年10月20日閲覧。
- ^ a b “【連載】THE BOHEMIANSの5人全員かたまりダイナマイト連載[Vol.58本間ドミノ先生「レコード棚あさり(山形あさり)」]”. 2023年6月11日閲覧。
- ^ “【訃報】會田雄亮 元学長・名誉教授 逝去 | 東北芸術工科大学 TUAD「想像力」と「創造力」を育み、確かな「就業力」へ”. 東北芸術工科大学 (2015年10月28日). 2019年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月27日閲覧。
- ^ “『お笑い芸人「あがすけ」が、ちょっとテレビに出はじめた?』”. 約束の地へ…Love&Peace. 2020年4月10日閲覧。
- ^ 「〈母校をたずねる〉体系立てる考え方学ぶ 平昌五輪スノボ代表 斯波正樹さん」『毎日新聞』2018年8月3日、20面。
- ^ “<母校をたずねる>爆発のため「ためた時代」映画監督 村川透さん”. 毎日新聞: p. 24. (2018年9月21日)