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山形交通高畠線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山形交通 高畠線
(旧)高畠駅
(旧)高畠駅
概要
現況 廃止
起終点 起点:糠ノ目駅
終点:二井宿駅
駅数 9駅
運営
開業 1922年3月16日 (1922-03-16)
廃止 1974年11月18日 (1974-11-18)
所有者 高畠鉄道→山形交通
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 10.6 km (6.6 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 161 m (528 ft)
電化 直流600 V 架空電車線方式
最急勾配 15.1
路線図
1934年の鉄道路線図
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高畠線(たかはたせん)は、かつて山形県東置賜郡高畠町の糠ノ目駅(1991年高畠駅と改称)から二井宿駅までを結んでいた、山形交通鉄道路線である。

高畠町周辺で製糸業が発展したため、工業製品の輸送を目的に敷設された。昭和期に入り電化され、第二次世界大戦前には工業製品のほか、木材・乳製品・木炭・果物の輸送も担った。

戦後、トラックの発展によりそちらに役目を譲り、1974年(昭和49年)に全廃された。

路線データ

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1968年当時のもの

  • 路線距離:糠ノ目 - 二井宿間10.6km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:9
  • 電化区間:全線(直流電化
  • 複線区間:なし
  • 閉塞方式:票券閉塞式

歴史

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高畠鉄道
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
山形県東置賜郡高畠町大字畠町1、568[2]
設立 1921年(大正10年)2月15日[2]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、自動車運輸業[2]
代表者 社長 長谷川平五郎[2]
資本金 550,000円(払込額)[2]
特記事項:上記データは1940年(昭和15年)11月1日現在[2]
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運行概要

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1937年12月当時の旅客列車
運行本数:糠ノ目 - 高畠間4往復、糠ノ目 - 二井宿間6往復
所要時間:糠ノ目 - 高畠間13-15分、糠ノ目 - 二井宿間39-47分
1962年当時
糠ノ目 - 二井宿下り12本上り13本、糠ノ目 - 高畠下り2本上り4本、高畠 - 二井宿下り2本上り4本
所要時間:糠ノ目 - 二井宿およそ30分
1970年8月当時の旅客列車
運行本数:16往復(6時台から20時台まで毎時0-2本)
所要時間:全線13分
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
leer
国鉄奥羽本線
BHFq eABZq+r
0.0 糠ノ目駅
exBHF
2.1 一本柳駅
exBHF
3.5 竹ノ森駅
exBHF
5.2 高畠駅
exBHF
6.4 東高畠駅
exBHF
7.4 八幡宮前駅
exBHF
8.2 蛭沢駅
exBHF
9.2 上駄子町駅
exKBHFe
10.6 二井宿駅

車両

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廃線時に在籍していた車両は以下の通り

電気機関車

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ED1
ED1
高畠鉄道が1929年電化時に川崎車輛で製造した凸形電気機関車キ1。東京横浜電鉄デキ1(東急デキ3021)伊勢電気鉄道501・502(近鉄デ1・2)とほぼ同形。ED2入線後は予備機となった。
ED2
鳳来寺鉄道の戦時買収車の凸形電気機関車。1962年ジークライト化学鉱業高畠工場操業に伴い輸送力増強が求められていたため1963年近江鉄道から譲受した[9]。詳しくは豊川鉄道電機50形電気機関車を参照

電車

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モハ1
高松琴平電気鉄道譲渡後のモハ4(琴電890形890)
モハ1
電化の際に導入したオリジナルの小型車。日本車輌製造にてデハニ1として製造され、1959年西武所沢車両工場で車両更新を受けモハ1となった。
モハ2
モハ1の増備車で1933年日本車輌製造製デハニ2。モハ1同様1962年西武所沢車両工場で更新を受けモハ2となる。
モハ3
西武モハ101形モハ104。1958年入線。
モハ4
西武の川造形電車クハ1156。西武所沢車両工場で電動車化改造を施工し1966年入線。廃線後は高松琴平電気鉄道に譲渡された。詳しくは「高松琴平電気鉄道890形電車」を参照
クハ1
元近江鉄道クハ22尾花沢線(→三山線)のハフ4 (2代) とは同系車。1968年入線。

客車

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ハフ3 (3代)
元西武の小型電車で、モハ3と同系車。1970年の尾花沢線廃止により転属してきたが、高畠線では使用されることがなかった

貨車

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ワム201
ワム201

駅一覧

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1968年当時

  • 糠ノ目駅 - 一本柳駅 - 竹ノ森駅 - 高畠駅 - 東高畠駅 - 八幡宮前駅 - 蛭沢駅 - 上駄子町駅 - 二井宿駅

高畠駅は、この地域の名産である高畠石を使って建設された石造りの駅舎であった。高畠石はさらに、個別の石切場の名前を付けて細分化されており、高畠駅に使われたのは瓜割石切場から切り出された瓜割石であった。設計は初代高畠駅長であった長島多吉である。外観は黄土色で、車寄せのような玄関を備えた立派な建物となっている[10]

高畠駅より工場への専用線(0.3km)[11]が伸びており当初は片倉製糸紡績が撤退後はジークライト化学鉱業の所有となっていた[12]

接続路線

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廃線跡

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JR高畠駅(旧・糠ノ目駅)前にある「まほろば緑道」

(旧)高畠駅の駅舎はそのまま保存されており、鉄道廃止後も代替する山交バス高畠待合所として利用されていた。代替バスは町営になった後、廃止された。電車1両(モハ1)、電気機関車1両(ED1)、貨車1両も保存されている。路線跡はサイクリングロードまほろば緑道となり、置賜自転車道米沢駅 - 赤湯駅)の一区間となった。

(旧)高畠駅 プラットフォーム

脚注

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  1. ^ 『電気事業要覧. 第25回 昭和9年3月』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年6月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』『日本全国諸会社役員録. 第30回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年3月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年9月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』では8月31日電化実施
  8. ^ 読売新聞昭和9年8月31日山形読売
  9. ^ 関東私鉄同好会「樹氷の郷里のチビ電たち」『鉄道ファン』No.162
  10. ^ 交通新聞2008年6月20日4面
  11. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 鈴木洋・若林宣『山形交通高畠線・尾花沢線』ネコパブリッシング、2006年、11-12頁

参考文献

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  • 青木栄一 著「昭和52年5月1日現在における補遺」、鉄道ピクトリアル編集部(編) 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺3頁頁。 
  • 川上幸義「山形交通」『鉄道ピクトリアル』1962年3月号臨時増刊:私鉄車両めぐり2、1962年、pp. 4-5, 27-33。 (再録:鉄道ピクトリアル編集部(編) 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。 
  • 川上幸義「山形交通(私鉄車両めぐり第2分冊補遺)」『鉄道ピクトリアル』No. 145(1963年5月号臨時増刊:私鉄車両めぐり4)、1963年、p. 86。 (再録:鉄道ピクトリアル編集部(編) 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。 
  • 鉄道省『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(覆刻:1986年)、p. 267頁。ISBN 4-88540-048-1 
  • 寺田裕一『新 消えた轍 3 東北』ネコ・パブリッシング、東京、2010年、p. 12-15頁。ISBN 978-4-7770-1054-7 

外部リンク

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