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山口県立山口高等学校徳佐分校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山口県立山口高等学校徳佐分校
地図北緯34度24分3.359秒 東経131度43分27.041秒 / 北緯34.40093306度 東経131.72417806度 / 34.40093306; 131.72417806座標: 北緯34度24分3.359秒 東経131度43分27.041秒 / 北緯34.40093306度 東経131.72417806度 / 34.40093306; 131.72417806
過去の名称 山口県立生雲高等学校徳佐分校
山口県立徳佐高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 山口県の旗 山口県
学区 防府学区
校訓 至誠剛健
設立年月日 1948年(昭和23年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D135210000470 ウィキデータを編集
高校コード 35158A
所在地 759-1512
山口県山口市阿東徳佐中1033番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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山口県立山口高等学校徳佐分校(やまぐちけんりつ やまぐちこうとうがっこう とくさぶんこう, Tokusa Branch of Yamaguchi Prefectural Yamaguchi High School)は、山口県山口市阿東徳佐中にある公立高等学校山口県立山口高等学校分校

概要

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歴史
1948年(昭和23年)に開校した「山口県立生雲高等学校徳佐分校」を前身とする。翌1949年(昭和24年)の本校移転に伴い、「山口県立徳佐高等学校」に改称。創立60周年を迎えた2008年平成20年)に山口県立山口高等学校徳佐分校が設置された。
生徒数減少により、同じく定員に達していない山口県立岩国高等学校広瀬分校山口県立防府高等学校佐波分校とともに、早ければ2022年度で募集を停止する方向で議論されている。
学区
防府学区 (山口市・防府市美祢市(旧美祢郡美東町秋芳町区域))
設置課程・学科
全日制課程 普通科
  • 2年次より、主に四年制大学への進学を目指す「進学コース」と短期大学専門学校への進学や就職を目指す「総合コース」に分かれる。総合コースでは農業や商業に関する専門科目も学ぶ。
校訓・校章・校歌・制服
山口県立山口高等学校のものを共用。

沿革

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  • 1948年(昭和23年)
    • 5月31日 - 阿武郡新制高等学校の設置委員会が発足。
    • 6月28日
      • 阿武郡生雲村(いくも)に定時制高等学校を開校し、校名を「山口県立生雲高等学校」とする。
      • 徳佐村(とくさ)に徳佐分校、高俣村(たかまた)に高俣分校、福賀村(ふくが)に福賀分校の3分校を設置。本校・分校ともに定時制農業課程・家庭課程を設置。
    • 7月14日 - 山口県立生雲高等学校(本校)の開校式を挙行。
    • 7月15日 - 徳佐分校の開校式を挙行。
    • 7月16日 - 福賀分校の開校式を挙行。
    • 7月18日 - 高俣分校の開校式を挙行。阿武郡新制高等学校設置委員会において、次年度(1949年(昭和24年)4月)より本校を徳佐村に設置することを決定。
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月1日 - 「山口県立徳佐高等学校」に改称。
    • 5月20日 - 本校を生雲村から徳佐村に移す。旧・徳佐分校を本校とし、旧・生雲高等学校を生雲分校とする。
    • 7月18日 - 本校新校舎(第一期工事)が完成。
  • 1954年(昭和29年)
  • 1955年(昭和30年)11月23日 - 本校新校舎(第三期工事)が完成したため、臨時仮校舎を廃止。
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 福賀分校を山口県立奈古高等学校に移管。これにより2分校体制となる。
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 高俣分校の第一校舎が完成。
  • 1958年(昭和33年)12月15日 - 本校第三校舎を増築。
  • 1961年(昭和36年)3月31日 - 本校第三校舎を増築。
  • 1962年(昭和37年)
    • 2月6日 - 本校および生雲分校・高俣分校の各校において定時制農業課程・家庭課程の生徒募集を停止。
    • 4月1日 - 本校に全日制普通課程・農業課程・家庭課程を設置(本校を完全に全日制に切り替える)。生雲分校・高俣分校にそれぞれ定時制普通課程を設置。
    • 11月17日 - 本校第一校舎を新築。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月1日 - 生雲分校の生徒募集を停止。
    • 4月1日 - 本校家庭課程を家政科に改称。
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月31日 - 生雲分校を廃止し、本校に統合。15年の歴史に幕を閉じる。これにより1分校体制となる。
    • 8月31日 - 高俣分校の第二校舎が完成。
  • 1965年(昭和40年)
  • 1966年(昭和41年)2月1日 - 舎が完成。
  • 1967年(昭和42年)3月31日 - 体育館講堂温室が完成。
  • 1968年(昭和43年)12月17日 - 農業実習棟が完成。
  • 1970年(昭和45年)6月30日 - プールが完成。
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月 - 高俣分校の定時制課程普通科の募集を停止。
    • 4月1日 - 高俣分校全日制課程普通科を設置(全日制に切り替える)。
    • 10月27日 - 音楽室が完成。
  • 1972年(昭和47年)8月 - 舎と球技場が完成。
  • 1974年(昭和49年)6月29日 - 農舎、農具室、農場管理室を解体。
  • 1975年(昭和50年)1月28日 - 剣道場が完成。
  • 1976年(昭和51年)8月21日 - 山口県立徳山高等学校から温室を移設。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月25日 - 高俣分校の新校舎が完成。
    • 4月27日 - 高俣分校が旧校舎から新校舎に移転完了。
  • 1979年(昭和54年)
    • 1月13日 - 高俣校舎に校門を設置。
    • 3月31日 - 特別教室棟が完成。
  • 1981年(昭和56年)3月31日 - 普通教室棟が完成。
  • 1982年(昭和57年)
    • 3月26日 - 管理棟が完成。
    • 7月20日 - 同窓会からの寄付により、庭園が完成。
  • 1984年(昭和59年)2月27日 - 農業科において推薦入試を導入。
  • 1985年(昭和60年)
    • 2月8日 - 家政科において推薦入試を導入。
    • 3月31日 - 第二グラウンドが完成。
  • 1986年(昭和61年)
    • 1月21日 - 園芸実習室と農業実験室が完成。
    • 3月 - 家政科の生徒募集を停止。
  • 1988年(昭和63年)3月31日 - 家政科を廃止。
  • 1993年(平成5年)6月28日 - 日本の旗アメリカ合衆国の旗第33回親善高等学校レスリング山口県大会の会場となる。
  • 1997年(平成9年)6月25日 - 地震[1]が発生し、校地付近では震度5が観測され、体育館の屋根等に被害を受ける。
  • 1998年(平成10年)6月23日 - 日本の旗アメリカ合衆国の旗第38回日米親善高等学校レスリング山口県大会の会場となる。
  • 1999年(平成11年)4月1日 - 学科改編により、農業科を農業技術経営科に変更。
  • 2003年(平成15年)3月12日 - 生物生産総合実習棟が完成。
  • 2007年(平成19年)11月1日 - 本校に山口県立山口高等学校徳佐分校開校準備室が設置。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月 - 徳佐高等学校(本校)と高俣分校の募集を停止。
    • 4月1日 - 本校敷地内に「山口県立山口高等学校徳佐分校」(現校名、全日制課程普通科)を設置。徳佐高等学校と高俣分校は最後の在校生が卒業するまで存続。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、徳佐高等学校と高俣分校を廃止。
    • 4月1日 - 完全に分校となる。

学校行事

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3学期制

1学期

  • 4月 - 1年生集団宿泊
  • 7月 - 全校野球応援、クラスマッチ(球技大会)

2学期

  • 10月 - 修学旅行、全校奉仕活動
  • 11月 - 徳佐祭
  • 12月 - クラスマッチ(球技大会)

3学期

  • 3月 - 卒業式

部活動

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運動部

文化部

交通アクセス

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最寄りの鉄道駅

最寄りのバス停

最寄りの道路

周辺

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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