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山口儀三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山口 儀三郎
生誕 1889年11月26日
日本の旗 日本 広島県
死没 (1972-12-13) 1972年12月13日(83歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1912年 - 1945年
最終階級 海軍中将
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山口 儀三郎(やまぐち ぎさぶろう、1889年明治22年)11月26日[1] - 1972年昭和47年)12月13日[1])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将位階勲等正四位勲一等[2]

経歴

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広島県出身[1]1912年(明治45年)7月、海軍兵学校第40期を卒業し[3]1913年(大正2年)12月、海軍少尉に任官[4]。その後、海軍水雷学校高等科を卒業し[2]第一遣外艦隊司令部附兼参謀[2]、「日進」分隊長[2]、海軍水雷学校教官兼分隊長などを歴任[2]1924年(大正13年)12月、海軍少佐に進級し[2]海軍大学校甲種第24期学生となる[2]1926年(大正15年)12月に長門通信長兼分隊長に就任し[2]1927年(昭和2年)12月、高松宮宣仁親王附武官兼八雲乗組となった[2]。以後、第1艦隊参謀兼連合艦隊参謀[2]、海軍兵学校生徒隊監事兼教官などを歴任した[2]

1933年(昭和8年)11月15日海軍大佐進級と同時に横須賀鎮守府附となり[2]、同年12月20日海軍通信学校教頭に着任[2]1935年(昭和10年)11月に「大井」艦長に転じ[2]1936年(昭和11年)12月に海軍省教育局第1課長[2]1938年(昭和13年)11月に「伊勢」艦長[2]1939年(昭和14年)11月1日に兼「扶桑」艦長と歴任した[2]。同年11月25日、海軍少将進級と同時に海軍通信学校長に着任[2]1941年(昭和16年)11月に佐世保鎮守府参謀長兼通信部長に転じ[2]1942年(昭和17年)12月には第10特別根拠地隊司令官に就任し[2]シンガポールに出征[1]。同地周辺の守備、警備に任じた[1]1943年(昭和18年)11月1日、海軍中将に進級して11月25日軍令部出仕となり[2]1944年(昭和19年)1月に旅順方面特別根拠地隊司令官に着任[2]1945年(昭和20年)4月20日鎮海警備府司令長官に就任し終戦を迎え[1][2]11月15日に海軍省出仕となり[2]11月30日に予備役に編入された[2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

年譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 福川 2000, 388頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp 海軍歴史保存会 1995, 447頁.
  3. ^ 外山 1981, 165頁.
  4. ^ 外山 1981, 163頁.
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」97頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。ISBN 482950272X 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500034 
  • 海軍歴史保存会 編集『日本海軍史 第9巻』海軍歴史保存会、1995年。