尚享
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尚 享(しょう きょう、1610年1月4日[1] - 没年不詳)は、琉球王国第二尚氏王統の王族。大和名は久米具志川王子朝盈(ちょうえい)。金武御殿1世の尚久、大金武王子朝公の七男として生まれた。母は側室の真嘉戸樽。第8代尚豊王(尚久四男)の弟にあたる。伯父の護得久御殿1世・尚康伯、久米具志川王子朝通の養子となり、護得久御殿を継いだ。
1649年に、尚質王即位の謝恩使として江戸上りをしている。また、尚質王は即位前の一時期、尚享の養子となっていた。1654年には、尚質王の摂政に就任し、1666年までの間、第10代尚質王の摂政を務めた。
尚享は、聖人按司加那志(せいじんあじがなし)のあだ名で知られるように、有徳の名政治家として後世に伝わっている。羽地朝秀が子供の頃、その才の非凡であることを見抜き、自分の後継者にと教育したという伝承も残されている。尚享のあと、羽地朝秀が摂政を継いだ。
脚注
[編集]- ^ 『尚姓家譜(大宗)』(金武御殿家譜、ペン書き写本、読み下し)に拠る。年月日は西暦か旧暦かは不明。
参考文献
[編集]- 伊波普猷・真境名安興『琉球の五偉人』 小沢書店 1916年
- 『尚姓家譜(大宗)』 〈東恩納文庫〉 沖縄県立図書館蔵
- 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』中 沖縄タイムス社 1983年
関連項目
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