少年易老学難成
『少年易老学難成』 | ||||
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ザ・ナイス の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1968年7月 ロンドン オリンピック・スタジオ (オーケストラ - ワセックス・サウンド・スタジオ) | |||
ジャンル | サイケデリック・ロック、プログレッシブ・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | イミディエイト・レコード | |||
プロデュース | ザ・ナイス | |||
ザ・ナイス アルバム 年表 | ||||
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『少年易老学難成』[注釈 1] (Ars Longa Vita Brevis) は、イングランドのロック・トリオのザ・ナイスが1968年に発表した2作目のアルバムである。
解説
[編集]経緯
[編集]ザ・ナイスは1968年3月にデビュー・アルバム『ナイスの思想』を発表して、それまで続けていたマーキー・クラブへの定期的な出演に加えてアルバムの宣伝を兼ねたツアーを行った。同年7月に発表した2作目のシングル『アメリカ』[1][注釈 2]が英米のシングル・チャートを上昇したものの、アルバムの売り上げは今一つだった。
彼等は7月末にオリンピック・スタジオで新作アルバムの制作を開始した。ここでキース・エマーソン(キーボード)とデヴィッド・オリスト(ギター)の音楽上の対立が鮮明になった[注釈 3][2]。オリストは同年2月のアメリカ公演の結果、薬物依存症に陥って[3][注釈 4]コンサートに現れなかったり不可解な行動をとったりするようになったので[4]、この対立で解雇された[注釈 5]。後任は元ボダストのスティーヴ・ハウに決まりかけたが、ハウは加入を断った[5]ので、彼等は4人編成を諦めてエマーソン、リー・ジャクソン(ベース・ギター、ヴォーカル)、ブライアン・デヴィソン(ドラムス)の3人で活動することにして、アルバム制作を再開した。
内容
[編集]アルバム名の原題は、ギリシャの医学者ヒポクラテスの「医術は長く人生は短い」[注釈 6]という言葉のラテン語訳で、ジャクソンが通ったアート・スクールの標語だった[2]。
オリジナルLPの片面を占めるアルバム・タイトル曲は、ロバート・スチュワートが指揮するオーケストラとの共演による組曲で、ジャクソンは「オリストが提供したリフをエマーソンが発展させ、自分が歌詞と題名をつけた[注釈 7]。そうして出来上がった曲を中心にして組曲を作り上げた」と述べている[2][注釈 8]。オーケストラの録音はワセックス・サウンド・スタジオで単独に行なわれた[6]。 バンドの録音ではジャクソンと同じくニューカッスル出身のマルコム・ラングスタッフがギターを担当した[7]。第三楽章の「ブランデンブルガー」はヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲の「ブランデンブルク協奏曲」第三番(ト長調 BWV 1048)の第一楽章の改作で、シングル・カットされた[8]が「アメリカ」に続くヒットにはならなかった。
「何処から来たのだろう」「陽気なフロイド」の全篇と「リトル・アラベラ」の中間部のリード・ヴォーカルはエマーソンが担当した。また「何処から来たのだろう」では、マネージャーのトニー・ストラットン・スミスが父親の声、偶然スタジオに居合わせたデヴィソンの甥が幼児の声を担当した[9]。「間奏曲(「カレリア組曲」)」はフィンランドの作曲家ジャン・シベリウスの「カレリア」組曲 作品11の「第1曲:間奏曲」の改作で、ジャクソンがベース・ギターのボウイング奏法、エマーソンがハモンド・オルガンのフィードバック効果を披露している。シベリウスの「第1曲:間奏曲」はイギリスのテムズ・テレビ (Thames Television) の人気ニュース番組This Weekのテーマ音楽に使われて当時イギリスで広く知られており、彼等の友人だったロイ・ハーパーが改作を提案した[9]。「ドン・エディト・エル・グルヴァ」は"Don edits the groove."の意味で、エンジニアリングを担当したドン・ブリューワー[注釈 9]に捧げられた[2]。
ジャケットは前作に続いてゲレッド・マンコヴィッツが制作した。彼はメンバーのX線撮影を行おうとしたが放射線管理と被曝の理由で許可されなかったので、ナイツブリッジの私立病院から古いX線写真を買ってパズルのようにつなぎ合わせて全身写真を作り上げて[注釈 10][2]、『ザ・ナイスのX線写真』と銘打った。
収録曲
[編集]- LP
- CD
- Ars Longa Vita Brevis『少年易老学難成+2』
# | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
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1. | 「Daddy, Where Did I Come From? (何処から来たのだろう)」 | Keith Emerson, Lee Jackson | |
2. | 「Little Arabella (リトル・アラベラ)」 | Jackson, Emerson | |
3. | 「Happy Freuds (陽気なフロイド)」 | Emerson, Jackson | |
4. | 「Intermezzo from the Karelia Suite (間奏曲 (「カレリア組曲」 より))」 | Sibelius | |
5. | 「Don Edito el Gruva (ドン・エディト・エル・グルヴァ)」 | Emerson, Jackson, Brian Davison | |
6. | 「Ars Longa Vita Brevis (少年易老学難成)
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7. | 「Brandenburger (ブランデンブルガー)」(ボーナス・トラック、シングルA面) | Jackson, Emerson, Davison | |
8. | 「Happy Freuds (陽気なフロイド)」(ボーナス・トラック、シングルB面) | Emerson, Jackson | |
合計時間: |
Ars Longa Vita Brevis (Expanded De-luxe Edition)[注釈 11]
参加ミュージシャン
[編集]- ザ・ナイス
- キース・エマーソン – キーボード、ボーカル、リード・ヴォーカル (CD #1, #2, #3)
- リー・ジャクソン – ベース・ギター、リード・ヴォーカル (CD #2, #6)
- ブライアン・デヴィソン – ドラムス
- その他
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ しょうねん、おいやすく、がく、なりがたし。
- ^ ギターとオルガンの即興演奏を含むインストゥルメンタル。原曲はミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』の挿入歌。冒頭とギター・ソロの直前に、ドヴォルザーク作曲の交響曲第九番『新世界より』第四楽章の一部のメロディが使われた。
- ^ 後年、エマーソンは対立について、オリストが目立とうとピート・タウンゼントのようにギターの音量を上げたのでオルガンとギターの均衡が取れなくなった、と説明した。
- ^ ウイスキー・ア・ゴー・ゴーで、居合わせたデヴィッド・クロスビーに薬を盛られたとされる。
- ^ 同年10月、仕事のプレッシャーでグループを去ったと公式発表された。
- ^ 邦題の「少年老い易く学成り難し」は、原題に似た意味を持ち、日本ではより広く知られていて覚えられやすいという理由で採用されたと思われる。
- ^ オリストが作者に含まれている第二楽章のことを指すと思われる。
- ^ 裏ジャケットには、エマーソンがニュートンの運動の第一法則を引用して原題の解釈を記している。
- ^ グランド・ファンク・レイルロードのドラマーとは同名異人。
- ^ よく見ると、三体は同じ写真であることがわかる。
- ^ Castle Music(CMQDD791)。各トラックの作詞・作曲は本CDのライナーノーツに基づく。
出典
[編集]- ^ “Discogs”. 2024年3月2日閲覧。
- ^ a b c d e Ars Longa Vita Brevis(Sanctuary, CMQDD791)のライナーノーツ。
- ^ Macan (2006), p. 19.
- ^ Macan (2006), p. 26.
- ^ Hanson (2014), p. 95.
- ^ Hanson (2014), p. 98.
- ^ a b Hanson (2014), p. 99.
- ^ “Discogs”. 2024年3月2日閲覧。
- ^ a b c Hanson (2014), p. 97.
引用文献
[編集]- Hanson, Martyn (2014). Hang on to a Dream: The Story of the Nice. London: Foruli Classics. ISBN 978-1-905792-61-0
- Macan, Edward (2006). Endless Enigma: A Musical Biography of Emerson, Lake and Palmer. Chicago and La Salle: Open Court. ISBN 978-0-8126-9596-0