小笠原信盛
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小笠原 信盛(おがさわら のぶもり、1605年(慶長10年) - 1671年8月27日(寛文11年7月23日))は、江戸時代初期の旗本。
旗本の小笠原信元の孫。父は信元の甥で養嗣子の小笠原信重。母は富士浅間神社の富士信通の娘。子に小笠原長住、小笠原信孟、小笠原長貞、娘(河野通定の妻)、娘(富士中務の妻)。
1611年(慶長16年)、将軍・徳川秀忠に拝謁した。1612年(慶長17年)、養祖父から家督を相続し、養祖父が徳川家康から拝領した呂宋の茶壷を献上した。大坂の陣では相模国三浦郡走水の番を務め、1628年(寛永5年)の江戸城外郭石垣の普請の際には隅田川口を守り、船改めを務めた。1632年(寛永9年)、船手頭となり、主水同心30人を預かった。のち、船手頭は毎年交代で四国・中国・九州の沿海を検視する任務を負うこととなり、1642年(寛永19年)には向井直宗と共に西国を巡検した。1670年6月1日(寛文10年4月14日)に致仕し、1671年(寛文11年)、享年67で没した。法名は宗園。家督は長男の長住が相続した。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第191