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小禄良恭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小禄親方良恭から転送)

小禄親方良恭(おろくうぇーかたりょうきょう、1798年10月1日 - 1859年11月3日)は、琉球王国官僚。唐名は馬允中(ば いんちゅう)を名乗った[1]

馬氏小禄殿内と称される貴族家系に生まれる。出生名は小禄良綱であり、小禄良和の長男である。1808年には尚灝王により踊奉行に任命され、清国から琉球に派遣される冊封使の接待のため、組踊を踊った[1]

父・良和が1818年に死去した後は、馬氏小禄殿内の11代目当主となった[1]

1839年には三司官に選ばれる。この際、同僚であった与那原良綱との混同を避けるべく、名を良綱から良恭に改めた。1847年、三司官を退任した[2]

脚注

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  1. ^ a b c "Oroku Ryōkyō." Okinawa konpakuto jiten (沖縄コンパクト事典, "Okinawa Compact Encyclopedia").
  2. ^ 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本
公職
先代
東風平安度
三司官
1839 - 1847
次代
座喜味盛普