小梁川宗秀
表示
時代 | 室町時代後期(戦国時代) |
---|---|
生誕 | 永正7年(1510年) |
死没 | 元亀元年(1570年) |
官位 | 安房守[1] |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 伊達稙宗 → 輝宗[2] |
氏族 | 伊達氏流小梁川氏 |
父母 | 父:小梁川宗朝 |
子 | 古田宗重 |
小梁川 宗秀(こやながわ むねひで)は、戦国時代の武将。伊達氏の重臣。
概要
[編集]永正7年(1510年)、小梁川宗朝の子として生まれる[1]。天文の乱においては父と共に伊達稙宗に属す[1]。
元亀元年(1570年)に中野宗時と牧野久仲父子が謀反を起こすが、宗秀は新田景綱と共に征伐を命じられた[1]。同年、宗時と久仲が篭る小松城攻撃の先鋒を任せられ、戦闘の最中に討ち死にした[1][2]。享年61[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 阿部 & 西村 1990, p. 345.
- ^ a b c 小梁川宗秀(デジタル版 日本人名大辞典+Plus) コトバンク
参考文献
[編集]- 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年9月。ISBN 4-404-01752-9。