小林昇
歴史学派 | |
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日本学士院により 公表された肖像写真 | |
生誕 |
1916年11月1日 京都府京都市 |
死没 | 2010年6月3日(93歳没) |
国籍 | 日本 |
研究機関 |
福島高等商業学校 福島大学 立教大学 大東文化大学 |
研究分野 | 経済学史 |
母校 | 東京帝国大学経済学部卒業 |
学位 |
経済学博士 (東京大学・1955年) |
影響を 受けた人物 | フリードリッヒ・リスト |
実績 |
古典経済学成立期を 中心とする 経済学史の研究 |
受賞 |
日本学士院賞(1972年) アダム・スミス賞(1976年) |
小林 昇(こばやし のぼる、1916年〈大正5年〉11月1日 - 2010年〈平成22年〉6月3日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。学位は、経済学博士(東京大学・論文博士・1955年)。福島大学名誉教授、立教大学名誉教授。日本学士院会員。
東京海上保険会社での勤務を経て、福島高等商業学校教授・福島大学経済学部教授・立教大学経済学部教授・立教大学経済学部学部長・大東文化大学教授などを歴任。
来歴
[編集]経済学史を専攻する京都市出身の経済学者である。東京帝国大学卒。1940年、福島高等商業学校講師。途中3年間の兵役を挟み、福島大学経済学部の設立などに尽力する。1955年から82年まで立教大学経済学部教授。ドイツ経済学史に新地平を開き、特にフリードリッヒ・リストの研究で名高い。
未來社から『小林昇経済学史著作集』(全11巻、1976-79年)が出版されている。死後故人についての回想録、服部正治・竹本洋編『回想 小林昇』(日本経済評論社、2011年12月12日刊)が出版されている。
人物
[編集]長女が父と母の思い出を書いている。[1]それによると、昇もその妻も学者の家庭出身であるが、学問生活地中心の生活をさせたという。妻は東京女子大をでて、以前はピアノを習っていた。結婚後は女中を辞めさせ、妻の親せきとの付き合いをしなかったという。妻は戦争前後の苦しい生活に耐えた。一男、二女に恵まれた。戦地での経験は昇に人生に力を与え、ある醒めた感覚を植えたという。精力的に仕事はしたが、グループを作ることは嫌い、短歌も一人で続けた。歌集 私家版『越南悲歌』、『シュワーベンの休暇』『百敗』、『歴世―小林昇全歌集』などがある。[2]兵役期間を含む福島時代の終わりごろ、同僚から感化され、こけしに興味をもった。上京後「東京こけし友の会」に入会。『こけし・美と系譜』(昭和41年、社会思想社刊)に昇のコレクションが紹介されている。福島市にできた「原郷のこけし群西田記念館」には昇のコレクションが長女を通して寄贈されている。[3]
略歴
[編集]- 1916年 京都に生まれる
- 1920年 東京に移る
- 1936年 武蔵高等学校文科卒業
- 1939年 東京帝国大学経済学部経済学科卒業、東京海上火災保険会社入社
- 1940年 5月、福島高等商業学校(嘱託)講師
- 1941年 3月、福島高等商業学校教授
- 1944年7月29日 召集令状受領 8月 金沢歩兵第107連隊補充隊第2機関銃中隊大隊砲小隊に入隊[4]
- 1944年11月3日 輸送船日永丸で門司港出航 15日米国潜水艦の攻撃を受け、日永丸は沈没、竹筏で漂う
- 1944年11月16日 海防艦により救助。サイゴンに上陸。
- 1945年4月1日 自己申告によりインドシナ派遣軍に転属。4月21日雲南省ラオカイに到着。6月1日、チエンクアンに到着
- 1945年8月5日 タムダオ山地に機関銃陣地を構築
- 1946年4月27日 ニンビン、チョウガン、テンホン、ハイフォン、浦賀を経て福島着 その後復職[5]
- 1949年 6月、福島大学経済学部教授
- 1950年 経済学史学会創立に参加。1960年から幹事、ついで代表幹事。(1972年から74年)
- 1955年 4月、立教大学経済学部教授。8月、経済学博士(東京大学)。論文の題は「フリードリツヒ・リストの研究 」[6]。
- 1961年 4月、立教大学経済学部長(-1963年3月)
- 1964年 西ドイツに出張
- 1972年 日本学士院賞受賞
- 1976年 アダム・スミス賞受賞
- 1982年 立教大学定年退職、大東文化大学教授。7月、立教大学名誉教授。
- 1990年 大東文化大学退職
- 1992年 日本学士院会員
- 2010年 6月3日肺炎にて死去。93歳没[7]
著作
[編集]単著
[編集]- 『フリードリッヒ・リスト序説』伊藤書店、1943年
- 『フリードリッヒ・リストの生産力論』東洋経済新報社、1948年
- 『フリードリッヒ・リスト研究』日本評論社、1950年
- 『重商主義の経済理論』東洋経済新報社、1952年
- 『重商主義解体期の研究』未來社、1955年
- 『経済学史研究所説─スミスとリスト─』未來社、1957年
- 『経済学の形成時代』未來社、1961年
- Die List-Forschung in OsdeutschlandThe Science Council of Japan, 1962
- 『原始蓄積期の経済諸理論』未來社、1965年
- 『フリードリッヒ・リスト論考』未來社、1966年
- 『シュワーベンの休暇 歌集』未来社 1966年
- James Steuart, Adam Smith and Friedrich List(The Science Council of Japan, 1967)
- 『私のなかのヴェトナム』未来社、1968年
- 『経済学史評論』未來社、1971年
- 『国富論体系の成立 アダム・スミスとジェイムズ・ステュアート』未來社、1973年
- 『小林昇経済学史著作集』全11巻、未来社、1976-89
- 『帰還兵の散歩』未来社、1984.12
- 『東西リスト論争』みすず書房、1990.9
- 『百敗 歌集』角川書店、1991.2
- 『最初の経済学体系』名古屋大学出版会、1994.12
- 『経済学史春秋』未來社、2001.11
- 『山までの街』八朔社、2002.11
共著・編
[編集]- 『イギリス重商主義論』御茶の水書房、1955
- 『経済学史小辞典』学生社、1963
- 『経済学史』有斐閣双書、1967
- 杉山忠平共著『西洋から西欧へ』日本経済評論社、1987.11
- 『資本主義世界の経済政策思想』昭和堂、1988.3
翻訳
[編集]- フリードリッヒ・リスト『農地制度・零細経営および国外移住』日本評論社、1949
- ワーメル著、米田清貴共訳『古典派賃金理論の発展』未来社、1958
- フリードリッヒ・リスト『経済学の国民的体系』岩波書店、1970
- フリードリッヒ・リスト『農地制度論』岩波文庫、1974
- ジョウゼフ・ハリス『貨幣・鋳貨論』東京大学出版会、1975
脚注
[編集]- ^ 服部[2011:329-339]
- ^ 服部[2011:214-227
- ^ 服部[2011:297-304]
- ^ 服部[2011:381]
- ^ 服部[2011:382]
- ^ 博士論文書誌データベースによる
- ^ “立教大学元経済学部長の小林昇さん死去 93歳”. 朝日新聞. (2010年6月4日) 2010年6月15日閲覧。
参考書
[編集]- 『回想 小林昇』服部正治 竹本洋編著 2011年 日本経済新聞社 ISBN 978-4-8188-2186-6
- 上記の本の345ページから380ページにわたり、小林昇 著作 短文目録が詳細に記録されている。
外部リンク
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