小林常泰
小林常泰 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 長野県 |
生年月日 | 1945年2月17日(79歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
東京→美浦・森末之助(1963 - 1979) 美浦・藤原敏文(1979 - 1985) |
初免許年 | 1963年3月20日 |
免許区分 | 平地(初期には障害の免許も保持) |
騎手引退日 | 1985年2月24日 |
重賞勝利 | 11勝 |
通算勝利 | 368勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1985年(1986年開業) |
経歴 | |
所属 | 美浦T.C.(1986年 - 2010年) |
小林 常泰(こばやし つねやす、1945年2月17日 - )は、長野県出身の元騎手・元調教師。
経歴
[編集]馬事公苑騎手養成長期課程の同期には高橋隆、清水出美、簗田善則、久保敏文、領家政蔵、鹿戸明、久保田秀次郎、大崎昭一、笹倉武久などがいた。
1962年に東京・森末之助厩舎の騎手候補生となり、1963年3月に同厩舎からデビューし、尾形藤吉厩舎から移籍してきた森安弘昭、生え抜きの徳吉一己の弟弟子となる[1]。同30日の中山第9競走5歳以上100万下・フクニホン(11頭中5着)[2]で初騎乗[3]を果たし、同馬に騎乗した7月7日の中山第7競走5歳以上100万下[4]で初勝利[5]を挙げる。
2年目の1964年には東京アラブ障害特別・ダイサンプウ[6]で重賞初勝利、東京障害特別(秋)・キンタイム[7]で2勝目を挙げるなど障害で14勝をマークし、平地5勝と合わせて初の2桁となる19勝を記録[8] [9]。
1966年には中日新聞杯で自厩のチャイナロック産駒アオバ[10]に沢峰次に替わって騎乗し[11]、バリモスニセイを抑えて[12]平地重賞初勝利を飾り、同年から1977年まで12年連続2桁勝利を記録[9]。
1967年には愛知杯を小西喜蔵厩舎のカブトザンで制し[13]、1968年からは平地での騎乗に専念。
1970年と1971年には2年連続20勝台をマークし[9]、1970年には新潟で初めて行われたアラブ王冠(秋)を関西馬のヒハカイで制すと[14]、1971年には中京記念でゲイタイム産駒ダイホウゲツ[15]に騎乗しクニノハナを抑えて制覇[16]。春の小倉ではヤマアオバで小倉大賞典2着[17]、トウショウピットでアルゼンチンジョッキークラブカップを9頭中9番人気ながらメジロアサマの3着[18]、スズボクサーで北海道3歳ステークス2着[19]に入った。
1971年9月11日の札幌第7競走4歳以上オープンでは弟弟子の蓑田早人[1]に替わってオンワードガイに騎乗し[20]、二冠馬のヒカルイマイを破った[21]。
1972年と1975年には自己最多の30勝をマークし[9]、小林を含む森厩舎に所属する騎手4人全員が乗って、勝たせているという珍しい記録[22] [1]を持つヤマブキオーには2度騎乗[23]。初騎乗は1974年の天皇賞(秋)でトーヨーアサヒ・ナオキに先着するもタケクマヒカルのアタマ差の13着[24]に終わったが、2度目の騎乗となった1975年のダービー卿チャレンジトロフィーではカーネルシンボリを抑えて制覇[25]。
1973年のCBC賞ではシュアーウインで2着[26]、1974年にはタイムトウショウで函館3歳ステークスで11頭中9番人気ながら3着[27]、北海道3歳ステークスでは11頭中11番人気ながら2着[28]に入った。
1974年には森安重勝に替わってニシキエースの主戦騎手を務め[29]、10年ぶりに東京で行われた皐月賞ではキタノカチドキ・コーネルランサーに次ぐ5着[30]と健闘し、ダービー卿チャレンジトロフィーとCBC賞では共に2着と古馬相手の重賞でも好走[29]。
1975年にはブラットメールで牝馬東京タイムズ杯3着[31]に入り、アラブ大賞典(秋)を石栗龍雄厩舎のセイユウ記念馬トクノハルオー[32]で制す[33]。
1977年の小倉記念ではイコマエイカンの初仔[34]グレイトファイターで2着[35]に入るが、1978年には4勝に終わり[9]、1979年からは藤原敏文厩舎に移籍。
1980年には新潟記念で前年のオークス2着馬ナカミサファイヤ[36]に騎乗し[37]、3コーナーから一気に流れが速くなり、直線一気の競馬で2着馬に3馬身半突き抜けて[38]ホオカノの連覇を阻止[39]。この後は屈腱炎で引退したため、最初で最後のコンビとなった[38]。同年は自身5年ぶりの重賞制覇をするなど、3年ぶりの2桁で最後の20勝台となる24勝をマーク[9]。
1980年から1982年まで3年連続2桁勝利を記録し[9]、1981年には雪でダートに変更された中京記念をワカハヤブサで前年のオークス馬ケイキロクの2着[40]、第1回新潟3歳ステークスで11頭中11番人気のダッシングハグロに騎乗してビクトリアクラウンの2着[41]と健闘。
1982年の京成杯ではダッシングハグロで内を突いて抜け出したが、アスワンにアタマ差捕らえられて2着に終わる[42] [43]。青森・タケミファーム生産馬ダイセキテイ[44]ではセントライト記念でホスピタリテイ・アズマハンターに次ぐ5着[45]、京都新聞杯ではハギノカムイオー・ワカテンザンに次ぐ4着[46]と東西の菊花賞トライアルで掲示板を確保したが、菊花賞本番ではハギノカムイオー・アズマハンター・トウショウペガサスに先着するも11着[47]に終わった。
1984年にはダイヤモンドステークスで前年の天皇賞(秋)2着の牝馬カミノスミレ[48]を抑えて勝利し、青森・タケミファーム生産馬[44] [48]のワンツーとなった[49]。続く目黒記念でもダイナカール・エイティトウショウ・ドウカンヤシマを抑えて[50]重賞を連勝し[51]、日経賞は2着[51]、天皇賞(春)では人気のホリスキーと共に最後方に近い位置[52]に付けてモンテファストの4着[53]に入った。
1983年には自己最低の3勝に終わるが[9]、1984年には2年ぶりで最後の2桁となる10勝をマークし[9]、1985年に調教師免許取得に伴い現役を引退。
1985年2月17日の東京第2競走4歳・ユーコーフラッシュが最後の勝利[54]、同24日の中山第7競走4歳400万下・セキテエム(11頭中4着)[55]が最後の騎乗となった。
引退後は1986年に開業し[56]、同年には競馬学校厩務員過程を修了した伊藤圭三も所属。
1986年3月15日の中山第12競走4歳以上400万下・ダービータクト(13頭中6着)[57]で管理馬初出走[56]を果たし、同馬を出走させた4月19日の東京第7競走[58]で初勝利[56]を挙げるが、手綱は共に谷中公一であった[57] [58]。5月にはニュージーランドトロフィー4歳ステークス・マツヤマイナリ(7頭中6着)で重賞初出走を果たし[56]、森厩舎時代の兄弟子である徳吉が騎乗した[59]。
1991年の福島記念にはサクラシンゲキ産駒ユーワビーム[60]を48kgの小野次郎騎乗で出走させ、レースではツインターボ・ユキノサンライズと共に先行し、4着に入った[61]。
1992年には桜花賞・ジュピターガール(18頭中16着)[62]でGI初出走を果たし[56]、カミノエルフを東京優駿(18頭中6着)に出走させ、同馬はラジオたんぱ賞ではシンコウラブリイの3着に入る[63]。同年10月からは田島俊明が調教厩務員として所属し、ユーワビームがカブトヤマ記念で郷原洋行騎乗で3着に逃げ粘る[60]。
1993年には田島が高橋裕厩舎に移籍したほか、伊藤直人が所属騎手としてデビューし、ユーワビームでカブトヤマ記念を制覇[60]。
1994年のクイーンカップではプリオルガールがヒシアマゾンの4着[64]、1996年のスプリングステークスではキャッシュラボーラがバブルガムフェローの3着[65]と好走。
1999年と2000年にはタマモクロス産駒の牝馬モンレーブが活躍し[66]、1999年のカブトヤマ記念では50kgの武士沢友治で2着[67]、2000年の新潟記念では49kgの村田一誠で2着[68]に突っ込む。
2000年にはバクシンヒーローをアンタレスステークスに出走させ、伊藤圭の管理馬で伊藤直が騎乗して逃げ切ったスマートボーイの3着[69]、2003年にはアイビスサマーダッシュにティエッチグレースを出走させて2着[70]に入った。
2010年10月31日に勇退届を提出し、12月20日に勇退[71]。
2010年11月1日の東京第7競走3歳以上500万下・コスモミカエルが最後の勝利[72]、12月19日の阪神第3競走2歳未勝利・デルマラクシュミー(16頭中16着)[73]が最後の出走[74]となった。
2014年10月25日には以前管理していたネコパンチとファンの記念撮影会『僕と記念撮影するニャ!』に駆けつけ、撮影会の様子を嬉しそうに見守った[75]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 352 | 370 | 340 | 2455 | 3517 | .100 | .205 |
障害 | 18 | 14 | 14 | 44 | 90 | .200 | .356 |
計 | 368 | 386 | 354 | 2499 | 3607 | .102 | .209 |
主な騎乗馬
[編集]- ダイサンプウ(1964年東京アラブ障害特別)
- キンタイム(1964年東京障害特別 (秋))
- アオバ(1966年中日新聞杯)
- カブトザン(1967年愛知杯)
- ヒハカイ(1970年アラブ王冠 (秋))
- ダイホウゲツ(1971年中京記念)
- ヤマブキオー(1975年ダービー卿チャレンジトロフィー)
- トクノハルオー(1975年アラブ大賞典 (秋))
- ナカミサファイヤ(1980年新潟記念)
- ダイセキテイ(1984年ダイヤモンドステークス、目黒記念)
調教師成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 256 | 291 | 311 | 3567 | 4425 | .058 | .124 |
障害 | 13 | 20 | 15 | 112 | 160 | .081 | .206 |
計 | 269 | 311 | 326 | 3679 | 4585 | .059 | .126 |
主な管理馬
[編集]- ユーワビーム(1993年カブトヤマ記念)
脚注
[編集]- ^ a b c 見習い時代の繋がりが今に至る | 元競馬学校教官・蓑田早人の蓑田塾 | うまスクエア
- ^ 5歳以上100万円以下 レース結果 | 1963年3月30日 中山9R - netkeiba
- ^ 抽出[通算 着外レース]|小林常泰の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ 5歳以上100万円以下 レース結果 | 1963年7月7日 中山7R - netkeiba
- ^ 抽出[通算 1着レース]|小林常泰の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ 東京アラブ障害特別 レース結果 | 1964年4月29日 東京7R - netkeiba
- ^ 東京障害特別 レース結果 | 1964年11月29日 東京6R - netkeiba
- ^ 抽出[]|小林常泰の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
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- ^ アオバ | 競走馬データ - netkeiba
- ^ アオバの競走成績 | 競走馬データ - netkeiba
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- ^ 愛知盃 レース結果 | 1967年12月17日 中京9R - netkeiba
- ^ アラブ王冠 レース結果 | 1970年10月18日 新潟9R - netkeiba
- ^ ダイホウゲツ | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 中京記念 レース結果 | 1971年3月7日 中京9R - netkeiba
- ^ 小倉大賞典|1971年4月11日 | 競馬データベース - netkeiba
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- ^ 小林常泰 の成績 - 競馬データベース | netkeiba.com
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- ^ a b c ユーワビーム (Yuwa Beam) | 競走馬データ - netkeiba
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- ^ 新潟記念|2000年8月27日 | 競馬データベース - netkeiba
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- ^ アイビスサマーD レース結果 | 2003年8月24日 新潟11R - netkeiba
- ^ 小林常泰調教師が勇退 | 競馬ニュース - netkeiba
- ^ 小林常泰 の成績 - 競馬データベース | netkeiba.com
- ^ 2歳未勝利 レース結果 | 2010年12月19日 阪神3R - netkeiba
- ^ 小林常泰の近走成績 | 調教師データ - netkeiba
- ^ 誘導馬ネコパンチとファンの撮影会『僕と記念撮影するニャ!』 | 競馬ニュース - netkeiba