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小島 紋次郎(こじま もんじろう、文政8年(1825年)? - 慶応2年10月2日(1866年11月8日)は、幕末の一揆指導者[1]。
武蔵国秩父郡上名栗村の貧農、大工[2]。慶応2年(1866年)米価引き下げを求めた武州世直し一揆を指導[1]。捕えられ獄死した[1]。