小坂郵便局 (秋田県)
表示
小坂郵便局 | |
---|---|
基本情報 | |
正式名称 | 小坂郵便局 |
前身 | 小坂鉱山郵便局 |
局番号 | 86053 |
設置者 | 日本郵便株式会社 |
所在地 |
〒017-0299 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古館17-1 |
位置 | 北緯40度19分43.5秒 東経140度44分29.0秒 / 北緯40.328750度 東経140.741389度座標: 北緯40度19分43.5秒 東経140度44分29.0秒 / 北緯40.328750度 東経140.741389度 |
貯金 | |
店名 | ゆうちょ銀行 代理店 |
保険 | |
店名 | かんぽ生命保険 代理店 |
特記事項 | |
ATMホリデーサービス実施 |
小坂郵便局(こさかゆうびんきょく)は、秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山にある郵便局。民営化前の分類では集配特定郵便局であった。
概要
[編集]住所:〒017-0299 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古館17-1
明治時代に入り、小坂鉱山が最盛期を迎え、経営をしていた「藤田組」(現在のDOWAホールディングス)が鉱山従業員のために、住宅や病院、劇場、鉄道、電気、上水道などのインフラ整備を自社で行い、鉱山町を形成。その一環として郵便局を招聘。小坂村中小坂にあった小坂郵便局の廃止から約1年後の1890年(明治23年)、小坂村銀山町に小坂鉱山郵便局が開設され、毛馬内郵便局から集配業務の一部を移管された。
秋田県において当局のような鉱山郵便局を前身とする郵便局は、羽後荒川郵便局や院内銀山郵便局[1]などがある。
沿革
[編集]- 1884年(明治17年)7月16日 - 小坂郵便局(五等)として開設[2]。
- 1885年(明治18年)10月1日 - 貯金取扱を開始。
- 1889年(明治22年)3月31日 - 廃止[3]。
- 1890年(明治23年)
- 4月1日- 小坂鉱山郵便局(三等)として再設置[4]。
- 12月21日 - 為替、貯金取扱を開始。
- 1892年(明治25年)7月1日 - 小為替振出事務取扱を開始[5]。
- 1896年(明治29年)11月16日 - 小包郵便取扱を開始[6]。
- 1900年(明治33年)9月1日 - 小坂鉱山郵便電信局となる[7]。
- 1903年(明治36年)4月1日 - 通信官署官制の施行に伴い小坂鉱山郵便局となる。
- 1906年(明治39年)1月1日 - 小坂郵便局に改称[8]。
- 1913年(大正2年)12月1日 - 鴇郵便局の廃止に伴い、取扱事務を継承[9]。
- 1915年(大正4年)8月11日 - 特設電話加入申込の受理を開始[10]。
- 1916年(大正5年)1月21日 - 電話交換業務および電話加入者の託送電報取扱を開始[11]。
- 1964年(昭和39年) - 局舎新築落成。
- 1974年(昭和49年)8月28日 - 電話交換および和文電報配達業務を小坂電報電話局に移管[12]。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業花輪支店小坂集配センターに一部業務を移管。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 日本郵便株式会社の発足に伴い、郵便事業花輪支店小坂集配センターを小坂郵便局に統合。
取扱内容
[編集]- 郵便、印紙、ゆうパック、チルドゆうパック、内容証明、国際郵便
- 貯金、為替、振替、振込、国債、財形定額貯金
- 生命保険、バイク自賠責保険、がん保険
- ゆうちょ銀行ATM
- 鹿角郡小坂町内の一部地域(〒017-02xx)の集配業務
周辺
[編集]アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 1931年(昭和6年)に廃止。
- ^ “官報. 1884年07月08日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2020年5月25日閲覧。
- ^ 山口修監修 『全国郵便局沿革録 明治編』 日本郵趣出版 1980年12月28日発行
- ^ 明治23年逓信省告示第55号(明治23年3月19日付官報第2013号掲載)
- ^ 明治25年逓信省告示第135号(明治25年6月10日付官報第2684号掲載)
- ^ 明治29年逓信省告示第224号(明治29年10月31日付官報第4004号掲載)
- ^ 明治33年逓信省告示第320号(明治33年8月27日付官報第5146号掲載)
- ^ 明治38年逓信省告示第623号(明治38年12月7日付官報第6732号掲載)
- ^ 大正5年逓信省告示第872号(大正2年11月29日付官報第402号掲載)
- ^ 大正4年逓信省告示第610号(大正4年8月6日付官報第904号掲載)
- ^ 大正5年逓信省告示第29号(大正5年1月17日付官報第1035号掲載)
- ^ 昭和49年郵政省告示第583号(昭和49年9月6日付官報第14308号掲載)