天台寺門宗
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(寺門派から転送)
天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経を根本経典とする。高祖は中国南北朝時代から隋の時代の天台大師智顗(538年 - 597年)、宗祖は日本平安時代の第5代天台座主の智証大師円珍(814年 - 891年)(弘法大師空海の姪の子)。総本山は長等山園城寺(三井寺、みいでら)(滋賀県大津市)。天台宗寺門派(じもんは)とも呼ばれる。
寺門の名の由来
[編集]妙法蓮華経の教義を重んじる天台大師の仏教は、伝教大師最澄(767年 - 822年)が日本へ伝えた。これが日本天台宗である。この教えは、第3代天台座主円仁と第5代天台座主円珍の2人の巨人の登場により、日本天台宗本山の比叡山延暦寺で2つに分かれてしまう。比叡山は円仁派が占め、円珍派は山を去り三井寺へ入った。これ以来、山へ残った円仁派を山門派、三井寺へ入った円珍派を寺門派と呼ぶ。
昭和16年(1941年)には宗教団体法に則り山門派、寺門派、真盛派の天台宗三派は合同したが、昭和20年(1945年)に宗教団体法が廃止されると、翌年には再び分離し、寺門派は天台寺門宗として独立した。
教義
[編集]山門派は法華経の円教を中心とした円・密・禅・戒の四宗兼学を唱えるが、天台寺門宗はこれに修験道を加えて、円・密・禅・戒・修験の五法門となる。この法門をくぐり「顕・密・修験三道鼎立」を目指し、「上求菩提下化衆生」を行っていくという教義である。
寺格
[編集]かつては寺門派三門跡寺院として聖護院、実相院、円満院の三か寺があった。
歴代園城寺長吏
[編集]- 円珍
- 惟首
- 猷憲
- 康済
- 増命
- 良勇
- 増命(還任)
- 明仙
- 勢祐
- 敬一
- 運昭
- 房算
- 行誉
- 禅芸
- 余慶
- 勝算
- 明筆
- 勧修
- 穆算
- 勧修(還任)
- 勝算(還任)
- 明肇
- 文慶
- 教静
- 文慶(還任)
- 心誉
- 文慶(三任)
- 明尊
- 永円※
- 明尊(還任)
- 覚円
- 隆明
- 増誉
- 行尊
- 覚猷
- 覚宗
- 行慶※
- 道恵法親王
- 覚忠
- 覚讃
- 房覚
- 公顕
- 実慶
- 定恵法親王
- 静恵法親王
- 真円
- 実慶(還任)
- 公胤
- 実慶(三任)
- 公胤(還任)
- 行意
- 覚仁法親王
- 覚実
- 円忠
- 覚朝
- 良尊
- 円浄
- 静忠
- 道慶
- 重円
- 覚恵法親王
- 公縁
- 道智
- 仁助法親王
- 道仁法親王
- 静仁法親王
- 円助法親王
- 隆弁
- 覚助
- 隆弁(還任)
- 行昭
- 増忠
- 性覚法親王
- 忠助法親王
- 行覚法親王
- 性覚法親王(還任)
- 静誉
- 性覚法親王(三任)
- 浄雅
- 道瑜
- 順助法親王
- 道珍
- 恵助法親王
- 道昭
- 尊悟入道親王
- 増基
- 尊悟入道親王(還任)
- 尊珍法親王
- 顕弁
- 尊珍法親王(還任)
- 房朝
- 増覚
- 良慶
- 覚助(還任)
- 尊悟入道親王(三任)
- 覚誉入道親王
- 長助入道親王
- 増仁
- 静深
- 道昭(還任)
- 増仁(還任)
- 長助入道親王(還任)
- 覚誉入道親王(還任)
- 長助入道親王(三任)
- 仁誉法親王
- 良瑜
- 覚誉入道親王(三任)
- 覚信
- 定尊
- 良瑜(還任)
- 道基
- 定伊
- 道尊
- 仁助(還任)
- 覚増法親王
- 道淳
- 定助
- 良瑜(三任)
- 道基(還任)
- 道尊(還任)
- 道意(三任、前名 道基)
- 増珍(還任、前名 道淳)
- 満意
- 増詮
- 定助(還任)
- 行雅
- 増詮(還任)
- 満意(還任)
- 増詮(三任)
- 定助(三任)
- 満意(三任)
- 尊雅
- 義命
- 教助
- 道興
- 道応法親王
- 道増
- 道澄
- 興意法親王
- 道晁法親王
- 道周法親王
- 常尊
- 義尊
- 道寛入道親王
- 道祐入道親王
- 義延入道親王
- 道尊(三任)
- 道承法親王
- 忠誉入道親王
- 義周入道親王
- 祐常
- 盈仁入道親王
- 義海
- 雄仁法親王
- 山科祐玉
- 樋上顕定
- 直林敬円
- 柳田暹暻
- 山科晃玉
- 田中道淳
- 福家守明
- 福家俊明
- 福家英明
- 福家俊彦
※注:王号は欠くものの、29世永円の父は村上天皇の皇子致平親王、37世行慶の父は白河天皇である。