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冨田ふさ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富田ふさから転送)
冨田ふさ
とみた ふさ
生年月日 1893年10月10日
出生地 日本の旗 日本 福井県吉田郡松岡町
(現福井県吉田郡永平寺町)
没年月日 (1954-07-19) 1954年7月19日(60歳没)
出身校 東京女医学校卒業
(現東京女子医科大学)
前職 医師
所属政党 (日本自由党→)
民主党

選挙区 京都府全府選挙区
当選回数 1回
在任期間 1946年4月 - 1947年3月31日
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冨田 ふさ[注 1](とみた ふさ、1893年(明治26年)10月10日[1]1954年昭和29年)7月19日[2])は、日本の医師。政治家、衆議院議員(1期)。旧姓は不明。

来歴

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1893年、福井県吉田郡松岡町(現・永平寺町)に生まれる[1]東京女医学校(現・東京女子医科大学)を卒業し[注 2]産婦人科医となる[1]京都帝国大学病院に勤務し、医師の冨田精と結婚する[1]1922年に夫とともに京都市で「冨田医院」を開業する[1]

1946年第22回衆議院議員総選挙京都府から女子自由党公認で立候補して3位で当選した[1][3]。選挙後、選挙期間中に戸別訪問したことが選挙違反に問われ、裁判所から罰金500円の有罪判決を受けた[4]。翌年の第23回衆議院議員総選挙民主党公認で京都1区から立候補したが落選した[5]

1954年に胃癌で死去した[6]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』430頁では変体仮名で表記。
  2. ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』430頁では「東京女医学校に学ぶ」。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』225頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』430頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』150頁。
  4. ^ 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』224頁。
  5. ^ 『朝日選挙大観』519頁。
  6. ^ 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』226頁。

参考文献

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  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
  • 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。