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密雲円悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
密雲円悟
1566年 - 1642年
密雲円悟頂相
生地 常州府宜興県
没地 台州府天台県天台山通玄寺
宗派 臨済宗天童派
寺院 古黄檗山萬福寺・天台山通玄寺・金粟山廣慧寺・寧波府鄞県阿育王寺天童山景徳寺
幻有正伝
弟子 費隠通容・五峰如学・漢月法蔵・破山海明・石車通乗・朝宗通忍・万如通徴・木陳道忞・牧門通門・浮石通賢・石奇通雲・林野通奇
著作 如学編『密雲禅師語録』
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密雲円悟(みつうん えんご、嘉靖45年(1566年11月16日 - 崇禎15年(1642年7月7日)は、中国末の臨済宗天童派の禅僧。俗姓は蒋。法諱は円悟。号は密雲。常州府宜興県の出身。費隠通容の師であり隠元隆琦の師翁にあたる。

伝歴

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父は蒋曦、母は潘氏。8歳で念仏を唱えたという。酒色に溺れ16歳で妻帯。29歳で出家を決意し妻を捨て、万暦23年(1595年)正月に顕親寺の幻有正伝に就いて出家した。その後、幻有に随って竜池山禹門禅院に住した。万暦30年(1602年)、幻有が燕京に移るもそのまま留まり監院を託された。万暦31年(1603年)、38歳にして銅官山(常州府宜興県)にて大悟する。40歳のとき幻有にまみえるため燕京の普照寺に赴き2年間過ごす。その後、径山・天台山・竜池山など各地を巡り、周海門居士陶望齢王舜鼎らと問答を繰り返すうち海東に法道が広まった。

万暦36年(1608年)、紹興の護生庵に移り、万暦38年(1610年)、幻有が竜池山に戻ると翌年訪ね、46歳のとき幻有より付法される。万暦42年(1614年)、幻有が示寂。これより3年間その柩に随従し、万暦44年(1616年)12月、遺骨を墓に納めた。翌年、衆に請われて竜池山禹門禅院にて開堂した。天啓元年(1621年)12月、匡廬衡嶽に行き、天啓2年(1622年)12月に天台山通玄寺(台州府天台県)に住した。天啓4年(1624年)5月、金粟山廣慧寺(嘉興府海塩県)に普山。殿堂などの整備を進め大禅林とした。

崇禎3年(1630年)3月に黄檗山の住持となるが、8月には金粟山廣慧寺に帰り、崇禎4年(1631年)2月に阿育王寺寧波府鄞県)に移り、4月天童山景徳寺(寧波府鄞県)の住持となった。ここでも荒廃した寺院を復興し僧が雲集した。

崇禎15年(1642年)、天台山通玄寺に戻り、同年7月に結跏趺坐のまま示寂した。世寿77。費隠通容ら12名に嗣法した。

著述

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  • 五峰如学編『密雲禅師語録』

伝記・資料

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  • 王谷撰『行状』
  • 徐之垣撰『全身塔銘』
  • 唐世済撰『遺衣金栗山銘』
  • 韋克振撰『崇禎癸未夏月穀旦本山住持嗣法弟子通容樹石道行碑』
  • 木陳道忞撰『天童密雲禅師年譜』
  • 銭謙益撰『天童密雲禅師悟公塔銘』
  • 木陳道忞撰『明天童密雲悟和尚行状』
  • 自叙伝『行繇』(『密雲禅師語録』巻6)
  • 遠門浄柱編『五灯会元続略』
  • 費隠通容編『五灯厳統
  • 除昌治編『高僧摘要』
  • 施沛彙『続灯存稿』
  • 聶先編『続指月録』
  • 超永編『五灯全書』

参考文献

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