中村謙一 (鉄道官僚)
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(宮岡恒次郎から転送)
中村 謙一(なかむら けんいち、1882年2月17日[1] - 1943年2月26日)は、日本の官僚、華族。鉄道省建設局長、鉄道会議議員、鉄道工事統制協会長、土木学会長、災害予防調査会委員、発電調査会委員等を歴任し、貴族院議員も務める。勲三等男爵。墓地は多磨霊園。中村覚の子。
経歴
[編集]- 東京府立第一中学校、第一高等学校卒業
- 1905年(明治38年) 東京帝国大学卒業
- 1908年(明治41年) 鉄道院技師
- 1913年(大正2年) 欧米留学
- 1923年(大正12年) 鉄道省建設局計画課長
- 1925年(大正14年) 男爵を襲爵
- 1926年(大正15年) 鉄道省建設局長
- 1929年(昭和4年) 貴族院議員
親族
[編集]- 父 中村覚
- 弟 中村謙二(陸軍大佐)
- 弟 森村謙三 - 6代目森村市左衛門の異母弟・森村豊の娘婿。森村同族会幹部
- 弟 多羅尾謙四郎 - 大阪海上火災保険社長・多羅尾源三郞の娘婿
- 弟 小林謙五(海軍中将)
- 妹・節 - 児玉国男(子爵・児玉源太郎四男)の妻
- 妹・いさを - 伯爵・伊東靖祐(伊東祐亨長男)の妻
- 妻 玉枝 - 外交官・宮岡恒次郎の長女。恒次郎(1866年生)は、川越で代々酒屋や料理屋などを営んできた商家「町勘」の二男で、7代目だった父親は大阪の旗本竹中の姓を買って竹中周則と名乗り、新政府に協力して倉敷で暮らした[2]。恒次郎は東京英語学校を経て東京帝国大学法学部に入学、在学中はモースの通訳として米国にも滞在し、卒業後外務省に入り、外交官として欧米勤務を経て駐米日本大使館参事官を務めた[2][3]。
- 長男 徹雄(貴族院男爵議員、東京帝国大学経済学部卒、岳父に小田原銀行取締役・辻村常助)
- 二男 中村達雄 - 京都帝国大学農科を経て農林省。岳父に小松製作所社長・白石多士良(白石直治長男)。
- 長女・豊子 - 国鉄技師長島秀雄(島安次郎長男)の妻
- 二女・多摩子 - 蘆原英了の妻
- 孫 島隆 - 鉄道技師。豊子の子
著書
[編集]- 『近世橋梁学』上巻、工業雑誌社、1911年。
- 『近世橋梁学』中巻、工業雑誌社、1927年。
- 『亡父を偲ぶ』非売品、1927年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 憲政資料編纂会編『歴代閣僚と国会議員名鑑』ライフ、1978年。
日本の爵位 | ||
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先代 中村覚 |
男爵 中村(覚)家第2代 1925年 - 1943年 |
次代 中村徹雄 |