大河戸宗治
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大河戸 宗治(おおこうど むねはる[1]/おおかわど そうじ[2]、1877年(明治10年)4月5日[1][2] - 1960年(昭和35年)1月15日[1][2])は、明治時代後期から昭和時代の土木工学者、鉄道官僚、逓信官僚。
経歴・人物
[編集]山口県に生まれる[1]。1902年(明治35年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、逓信省鉄道作業局に入り、1907年(明治40年)鉄道庁第一期留学生として欧米諸国へ橋梁工学を学びに渡る[1]。東京改良事務所長を経て、鉄道省東京第一改良事務所長となり、山手線の建設改良に従事[1]。ついで1929年(昭和4年)鉄道省工務局長を経て、1931年(昭和6年)東京帝国大学教授となり、コンクリート構造を教えた。ほか、攻玉社の高等工学校長および同短期大学教授を務めた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294。