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宮坂博敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮坂博敏
みやさか ひろとし
生年月日 1928年2月14日
出生地 日本の旗 日本 長野県埴科郡杭瀬下村
(現・長野県千曲市
没年月日 (2018-03-04) 2018年3月4日(90歳没)
出身校 旧制山梨高等工業学校卒業
(現・山梨大学工学部)
前職 更埴市助役
称号 正五位
旭日小綬章

当選回数 1回
在任期間 2003年10月5日 - 2007年10月4日

当選回数 4回
在任期間 1989年2月26日 - 2003年8月31日
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宮坂 博敏(みやさか ひろとし、1928年昭和3年〉2月14日[1] - 2018年平成30年〉3月4日[1][2][3])は、日本の政治家。長野県千曲市長。

来歴

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長野県埴科郡杭瀬下村(現千曲市)生まれ。旧制山梨高等工業学校卒業。旧更埴市助役を務めた。

1989年更埴市長選挙

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稲玉貞雄の引退に伴い、前助役として立候補して、新人を破って初当選を果たした[4]


※当日有権者数:-人 最終投票率:87.38%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
宮坂博敏61無所属13,687票58.5%-
原利夫53無所属9,710票41.5%-

1989年(平成元年)更埴市長選挙に当選した。1993年(平成5年)に無投票で再選を果たした。

1997年更埴市長選挙

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元高校教員の新人との争いとなったが、これを破って3選を果たした[5]


※当日有権者数:-人 最終投票率:51.65%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
宮坂博敏69無所属11,698票75.9%-
馬場修62-3,715票24.1%-

2003年千曲市長選挙

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平成の大合併では、周辺2町との新設合併を推進し、2003年(平成15年)9月1日に千曲市となった[6]。千曲市の初代市長となった[7]


※当日有権者数:51641人 最終投票率:69.56%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
宮坂博敏-無所属19595票54.93%-
滝沢弘-無所属16076票45.07%-

同年10月5日に就任した[8]2007年(平成19年)の市長選には立候補しなかった[9]。同年10月4日に退任した[10]

2008年(平成20年)、旭日小綬章受章[11]

2018年3月4日、病気のため死去、90歳没[2][3]。死没日をもって正五位に叙される[12]

脚注

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  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』210頁。
  2. ^ a b 「市報千曲」No.175 2018年4月号 p.17
  3. ^ a b 訃報:宮坂博敏さん 90歳=元千曲市長 /長野”. 毎日新聞 (2018年3月6日). 2021年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月25日閲覧。
  4. ^ 明治-平成長野県の選挙 155コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 社会民主 (503) 64コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 全国市長会ホームページ - 新市紹介(平成15年4月1日~平成16年4月1日)”. www.mayors.or.jp. 2024年10月25日閲覧。
  7. ^ 平成 15 年 10 月 5 日執行 千曲市長選挙”. 千曲市. 2022年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月8日閲覧。
  8. ^ 全国市長会ホームページ - 平成15年市長選挙結果”. www.mayors.or.jp. 2024年10月25日閲覧。
  9. ^ 千曲市長選挙 - 2007年09月30日投票 | 長野県千曲市”. 選挙ドットコム. 2024年10月25日閲覧。
  10. ^ 全国市長会ホームページ - 平成19年市長退任状況”. www.mayors.or.jp. 2024年10月25日閲覧。
  11. ^ 『官報』号外89号、平成20年4月30日
  12. ^ 『官報』第7239号8頁 平成30年4月19日号

参考文献

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  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。