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室戸型給炭艦

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室戸型から転送)
室戸型給炭艦
呉で病院船設備工事が完成した「室戸」(1932年3月5日)[1]
呉で病院船設備工事が完成した「室戸」(1932年3月5日)[1]
基本情報
種別 運送艦[2](給炭艦[3])
命名基準 岬の名
建造所 三菱神戸造船所[4]
運用者  大日本帝国海軍
同型艦 室戸野島[2]
要目 (主に1920年)
基準排水量 公表値 8,215トン[5]
常備排水量 公表値 8,751トン[5][注釈 1]
全長 358 ft 1+12 in (109.16 m)[3]
垂線間長 345 ftin (105.16 m)[6]
水線幅 50 ft 0 in (15.24 m)[6]
吃水 23 ft 2 in (7.06 m)[6]
ボイラー 円缶2基[6]
主機 直立3気筒3段膨張レシプロ1基[7]
推進器 1軸[6]
出力 2,500馬力[6]
速力 12.5ノット[6]
燃料 石炭838トン[6]
搭載能力 石炭または貨物6,000トン[8]
乗員 124名[6]
兵装 45口径三年式12cm単装砲2門[3]
(平時は陸上保管)[3]
搭載艇 3隻[6]
トンは英トン
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室戸型給炭艦(むろとがたきゅうたんかん)は、日本海軍給炭艦。同型艦2隻。第一次大戦後に補助艦として建造され、石炭を運送する目的のために建造された。石炭のほかに軍需品なども輸送した。

概要

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第一次世界大戦の勃発により民間船需要の逼迫と賃貸料の高騰した[9]。また石炭価格も上昇し、更に上がる勢いだった[10]。これらのため1917年(大正6年)9月15日に6,000トン積運送船1隻を三菱で建造する事が提案された[11]。それによると、シンガポール方面の石炭、台湾の粉炭を徳山に輸送、徳山の練炭を横須賀に輸送する費用を民間に委託した場合と海軍所有の運送船で行った場合を比較した結果、海軍運送船で運搬した場合、1年目は建造費を含めてもほぼ同一費用の約243万円となる計算だった[12]。また艦艇の行動区域が拡大し、石炭価格のさらなる上昇と艦艇への給炭の困難が予測された[10][注釈 2]。この提案は同年9月27日に決裁され[11]、その後艦艇の活動地域が拡大する情勢のため、ハワイ方面からの石炭輸入と練炭輸送のためにもう1隻建造することも提案され、同年11月24日に決裁された[13]。これにより1917年(大正6年)度の臨時軍事費により雑役船として2隻の運送船が計画され、翌年と翌々年に三菱神戸造船所で竣工した。1920年(大正9年)に特務艦中の運送艦(給炭)に類別が変更された。

艦型はいわゆる3島型の貨物船で、艦の前後に12cm砲を各1門ずつ装備する以外は民間のそれと大きな違いはない。アメリカ海軍の給炭艦は大規模な給炭設備を擁したが、本艦型にはそれもなかった。

1番艦「室戸」は1932年(昭和7年)に臨時の病院船設備を搭載した。ただし種別は運送艦のままとされている。この時に船橋楼甲板を延長し2番艦「野島」との区別が容易となった。同時に砲を8cm高角砲に換装している。

「野島」は1930年(昭和5年)にボイラーを宮原缶3基に換装、速力が14ノットに向上した。1932年(昭和7年)には砲を8cm高角砲に換装している。

両艦とも日中戦争太平洋戦争に参戦し「室戸」は病院船任務と輸送任務に、「野島」は輸送任務に就き両艦とも大戦中に戦没している。

同型艦

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参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正7年 公文備考 巻20 艦船1/特務艦製造』。Ref.C08021104600。 
    • 『大正14年 公文備考 巻42 艦船止/特務艦要目』。Ref.C08051419000。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。 
  • 『日本海軍特務艦船史』 世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。 
  • 福井静夫『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6 

脚注

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注釈

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  1. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三、大正9年3月調べの要目一覧では単に排水量8,750噸とある。また#T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局では満載排水量を8,751噸としている。
  2. ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』p20では建造理由を「第一次大戦中、ドイツの通商破壊戦に対抗して、日本海軍も東南アジア水域を行動していたが、これに燃料(石炭)を補給するのに民間船を一年雇う費用は、海軍が給炭船を建造して使う諸経費の合計にほぼ匹敵することがわかり、(以下略)」とされている。

出典

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  1. ^ #日本海軍全艦艇史下巻p.856写真No.2688の解説およびp.857写真No.2689とその解説
  2. ^ a b #海軍制度沿革巻八p.105『大正十五年十一月二十九日(内令二三九) 特務艦類別等級別表ノ通定ム(別表略)』種別:運送艦、等級:(空白)、艦型:室戸型、特務艦名:室戸、野島。
  3. ^ a b c d #T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局
  4. ^ #海軍制度沿革巻八p.398『大正六年十月二十二日(達一二七) 臨時軍事費ヲ以テ三菱合資會社神戸造船所ニ於テ製造ノ六千噸積運送船ヲ室戸<rubi>ムロト</rubi>ト命名ス』。#海軍制度沿革巻八p.398『大正六年十二月十五日(達一四七) 臨時軍事費ヲ以テ三菱合資會社神戸造船所ニ於テ製造ノ六千噸積運送船(第二隻目)ヲ野島<rubi>ノシマ</rubi>ト命名ス』
  5. ^ a b #海軍制度沿革巻十一の2pp.1057-1087、昭和3年2月14日附内令第43号、艦船要目公表範囲。うちpp.1084-1085。
  6. ^ a b c d e f g h i j #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
  7. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
  8. ^ #日本海軍特務艦船史p.26
  9. ^ 『世界の艦船 日本特務艦船史』p26。
  10. ^ a b #T7公文備考20/特務艦製造画像5、理由
  11. ^ a b #T7公文備考20/特務艦製造画像4-5『官房第二九三七號 大正六年九月十五日起案 九月廿七日附決裁済 仰裁 運送舩建造ノ件 臨時軍事費支辨ニテ六千噸積運輸船壹隻ヲ三菱合資會社ヲシテ建造セシメ可然哉 右仰髙裁 理由(以下略)』
  12. ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像6-8
  13. ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像10-13『官房第三六〇三號 大正六年十一月十七日起案 十一月廿四日附決裁済 仰裁 運送舩建造之件 臨時軍事費支辨ニテ六千噸積運輸船壹隻ヲ三菱造舩株式會社ヲシテ建造セシメ可然哉 右仰髙裁 理由 過般運送舩(室戸)建造方決裁ノ處其ノ後特別任務區域ハ更ニ擴大する趨勢ナルト一方(以下略)』

関連項目

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