東与賀町
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ひがしよかちょう 東与賀町 | |||||
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廃止日 | 2007年10月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 川副町・東与賀町・久保田町→佐賀市 | ||||
現在の自治体 | 佐賀市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 佐賀県 | ||||
郡 | 佐賀郡 | ||||
市町村コード | 41303-8 | ||||
面積 | 15.39 km2 | ||||
総人口 |
8,203人 (推計人口、2007年9月1日) | ||||
隣接自治体 | 佐賀市・川副町 | ||||
町の木 | マツ | ||||
町の花 | サクラ | ||||
東与賀町役場 | |||||
所在地 |
〒840-2221 佐賀県佐賀郡東与賀町大字下古賀1193番地 佐賀市役所東与賀支所(2017年撮影、旧東与賀町役場庁舎) | ||||
外部リンク | 東与賀町(2007年9月26日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project | ||||
座標 | 北緯33度12分30秒 東経130度17分19秒 / 北緯33.20822度 東経130.28853度座標: 北緯33度12分30秒 東経130度17分19秒 / 北緯33.20822度 東経130.28853度 | ||||
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ウィキプロジェクト |
東与賀町(ひがしよかちょう)は、かつて佐賀県の南部にあった町で、佐賀郡に属していた。2007年(平成19年)10月1日付で佐賀市に編入され、「佐賀市東与賀町」となった。
地理
[編集]佐賀市の南隣に位置しており、南側は有明海に面する。町域の大半が江戸時代から第二次世界大戦後まで続けられた干拓によって造成された土地で、最高点でも海抜2.8mしかない低平地であり、起伏がほとんどない地形である。人家は町の北部に多い。
- 河川: 八田江
隣接していた市町村
[編集]歴史
[編集]行政区画の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、下古賀村・飯盛村・田中村が合併し、東与賀村(東與賀村)が成立[1]。
- 1966年(昭和41年)10月1日 - 町制施行し、東与賀町となる[2]。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 久保田町・川副町とともに佐賀市に編入。
1868年(明治初年)時点[3] | 1889年 - | 1966年 - | 2005年 - | ||||||
佐賀郡 | 飯盛村 | 佐賀郡 | 東与賀村 | 大字飯盛 | 佐賀郡 | 東与賀町 | 同左 | 佐賀市 | 東与賀町大字飯盛 |
下古賀村 | 大字下古賀 | 東与賀町大字下古賀 | |||||||
田中村 | 大字田中 | 東与賀町大字田中 |
産業
[編集]また有明海に面していることから海苔養殖が有名である
地域
[編集]教育
[編集]小・中学校
[編集]- 東与賀町立東与賀中学校(→佐賀市立東与賀中学校)
- 東与賀町立東与賀小学校(→佐賀市立東与賀小学校)
交通
[編集]空港
[編集]最寄り空港は佐賀空港。
鉄道
[編集]町内を鉄道路線は通っていない。最寄り鉄道駅はJR九州長崎本線佐賀駅。
バス
[編集]道路
[編集]国道
[編集]県道
[編集]- 主要地方道
- 一般県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 干潟よか公園 - 東与賀海岸に隣接。遊具、水遊び場、草スキー場、農具などを展示する復元古民家などがある。
- シチメンソウ群生地 - 公園南隣、東与賀海岸の堤防外側。国内最大の群生地で、11月頃に紅く色づく。
- シチメンソウまつり - シチメンソウ紅葉シーズンの11月頃行われる。
- 行幸記念碑(昭和天皇最後の行幸地) - 公園南隣、東与賀海岸の堤防に所在。また、近くには昭和天皇と明仁天皇がこの地の情景を詠み表した短歌を記した御製碑(歌碑)が所在。
- 干潟ギャラリー
- 東よか干潟 - 公園南隣、東与賀海岸。2015年にラムサール条約に登録された水鳥の飛来地。
- 松土居公園 - 飯盛字大野。保全再生された「松土居」(江戸時代の干拓地を囲む海岸堤防で、松が植えられた)の一角にある公園。
- 東与賀銭太鼓 - 明治後期、島根県の出雲地方から今町地区や船津地区に伝わったとされる民俗芸能。戦後衰退したが、1991年(平成3年)に発足した「東与賀銭太鼓を育てる会」が伝承を続け、町内外の行事で披露されている。佐賀市の重要無形民俗文化財に指定[4]。
- 大搦堤防・授産社搦堤防(おおがらみ・じゅさんしゃからみていぼう) - 明治前期から中期に建設された石積みの干拓堤防。後に外側が干拓され、現在は二線堤[注 1]や盛土道路となった。当時の歴史・技術を物語る景観がよく保存されていることから2003年に土木学会選奨土木遺産に選定、また2009年に「佐賀市景観賞」を受賞[5][6][7]
東与賀町出身・在住の有名人
[編集]東与賀町出身
[編集]東与賀町在住
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「一線堤」と呼ばれる現役の海岸堤防に対し、その内側に残された旧堤防を「二線堤」と呼ぶ。
出典
[編集]- ^ 私立佐賀郡教育会 1916, p. 83.
- ^ 東与賀町史編纂委員会 1982, p. 10.
- ^ 「旧高旧領取調帳」による
- ^ 「東与賀銭太鼓」、さがの歴史・文化お宝帳(佐賀市地域文化財データベースサイト)、2018年2月10日閲覧
- ^ 「第二線堤防の石積み」、さがの歴史・文化お宝帳(佐賀市地域文化財データベースサイト)、2018年2月10日閲覧
- ^ 「東与賀地区大搦堤防・授産社搦堤防」、土木学会、2018年2月10日閲覧
- ^ 「干拓の歴史を今に伝える 東与賀 大搦(おおがらみ)・授産社搦(じゅさんしゃがらみ)堤防周辺」、佐賀市、2015年2月27日更新、2018年2月10日閲覧
- ^ 「毎日フォーラム・霞が関人物録 佐賀県」『毎日新聞デジタル』毎日新聞社、2020年2月10日。2023年8月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 私立佐賀郡教育会 編『佐賀郡誌』佐賀牧川書店、1916年1月20日。全国書誌番号:43045645。
- 東与賀町史編纂委員会 編『東与賀町史』東与賀町企画室、1982年11月3日。全国書誌番号:83010269。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 東与賀町ホームページ(2007年9月26日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 佐賀市・川副町・東与賀町・久保田町合併協議会(2007年9月26日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
国土地理院地図閲覧サービス ウオッちずの東与賀町内の地図 |
佐賀南部(北西) |
佐賀南部(南西) |