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宝町停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スタジアムシティサウス停留場
(宝町停留場)
停留場と歩道橋
スタジアムシティサウス
Stadium City South
(宝町)
(0.4 km) 八千代町 26
地図
所在地 長崎県長崎市宝町5番7号先
北緯32度45分29.28秒 東経129度52分7.12秒 / 北緯32.7581333度 東経129.8686444度 / 32.7581333; 129.8686444 (スタジアムシティサウス停留場
(宝町停留場)
)
座標: 北緯32度45分29.28秒 東経129度52分7.12秒 / 北緯32.7581333度 東経129.8686444度 / 32.7581333; 129.8686444 (スタジアムシティサウス停留場
(宝町停留場)
)
駅番号 25
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(1号系統・□2号系統3号系統
キロ程 4.2km(住吉起点)
赤迫から4.4 km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
2,000人/日
-2015年-
開業年月日 1915年大正4年)11月16日
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宝町停留場(たからまちていりゅうじょう、宝町電停)は、長崎県長崎市宝町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場である。駅番号は251号系統2号系統3号系統が停車する。

命名権により2024年10月1日より「スタジアムシティサウス停留場」(スタジアムシティサウスていりゅうじょう、スタジアムシティサウス電停)の名称が使用されている(後述)。

歴史

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当停留場の開業は1915年大正4年)11月[1]。長崎電気軌道の第1期線開通と同日のことであり、はじめは稲佐橋通停留場(いなさばしどおりていりゅうじょう)と称した[2][3]。当停留場付近で路線は長崎本線と並走していて[4]、停留場は長崎本線の踏切に並ぶ位置(北緯32度45分29秒 東経129度52分2.2秒 / 北緯32.75806度 東経129.867278度 / 32.75806; 129.867278 (稲佐橋通停留場))に置かれていた[3][5]。踏切は1965年(昭和40年)に立体交差化されている[5]

1957年昭和32年)には戦後の都市計画で新設された国道206号上へ軌道が移設[6]。旧線上の停留場は廃され、新線上へ移設のうえ船蔵町停留場(ふなぐらまちていりゅうじょう)に改称した[2][6][7]。宝町へ改称されるのは1966年(昭和41年)のことである[2][6]

2024年令和6年)10月に当停留場最寄りの長崎スタジアムシティが開業。スタジアムシティを運営するリージョナルクリエーション長崎と長崎電気軌道とのパートナーシップ締結に基づいて同社が当停留場の命名権を取得し、案内上の名称を「スタジアムシティサウス停留場」に改めた[8][9]。命名権導入後は、案内上の名称を「宝町」から「スタジアムシティサウス」に全て改めており、「宝町」の名称は停留所看板の一部に併記されているのみとなっている[10]

年表

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構造

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宝町停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが置かれる[12][13]。ホームは2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに配される(相対式ホーム[12][13]。線路の東側にあるのが長崎駅前方面行き、西側にあるのが赤迫方面行きのホーム[13]。1999年には当停留場付近で架線柱がセンターポール化されたのにあわせて、上屋の取り換えやホームのかさ上げ・延長がなされた[1]

停留場には横断歩道橋が併設される[1][12]。長崎電気軌道は交通渋滞対策とバリアフリーへの対応のため各所で歩道橋を撤去してきたが[14]、当停留場は存置されていて利便性ではやや劣る[1]

利用状況

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長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。

  • 1998年 - 3,053人[1]
  • 2015年 - 2,000人[15]

周辺

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長崎港対岸の地域へ向かうバス路線との乗り換え地点であり[6]三菱重工関連の工場へ向かう通勤客も当停留場で乗り換えを行う[1]。宝町の交差点は交通量が多い[1]

停留場の開業より変電所(船蔵町変電所)が近くに設けられていたが、老朽化により1968年(昭和43年)に長崎駅寄りの天神町変電所に取って代わられた[6][16]。しかしこの変電所も老朽化のため2015年(平成27年)に廃止され、新たに御船蔵町変電所が開設されている[17][18]

隣の停留場

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長崎電気軌道
本線(1号系統・2号系統・3号系統)
スタジアムシティノース停留場(銭座町)(24) - スタジアムシティサウス停留場(宝町)(25) - 八千代町停留場(26)
  • 1922年(大正11年)ころまでは隣の八千代町停留場との間に寿橋停留場が存在した[2][7]

脚注

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参考文献

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  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2 
  • 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6 
  • 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2 
  • 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4 
  • 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』2016年。 

関連項目

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