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定方俊樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
定方 俊樹
さだかた としき
Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム 定方 俊樹
ラテン文字 Sadakata Toshiki
国籍 日本の旗 日本
種目 長距離走駅伝
所属 三菱重工マラソン部
大学 東洋大学理工学部
生年月日 (1992-03-04) 1992年3月4日(32歳)
出身地 日本の旗 日本長崎県
身長 171cm
体重 58kg
自己ベスト
5000m 13分47秒84(2020年)
10000m 28分31秒90(2021年)
ハーフマラソン 1時間02分40秒(2016年)
マラソン 2時間07分05秒(2020年)
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定方 俊樹(さだかた としき、1992年3月4日 - )は、長崎県大村市出身の陸上競技選手。長崎県立川棚高等学校東洋大学理工学部卒業。三菱重工マラソン部所属。

SUMCO TECHXIV陸上競技部元監督で、廣中璃梨佳を中学時代に指導した定方次男は父。マツダ陸上競技部に所属する定方駿は弟。

来歴・人物

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旭化成陸上部に所属していた松尾良一は小学校の同級生にあたる。

高校3年次の第15回全国都道府県対抗男子駅伝では1区で区間8位の好走を見せた。

大学では1年次から頭角を現し、2010年U20日本陸上競技選手権5000mでは5位入賞。同期の設楽啓太設楽悠太とともに第22回出雲駅伝にも出場したが、その後は故障に悩まされ駅伝メンバーに入ることができなかった[1]

3年次の第89回箱根駅伝でメンバー入りを果たし、前年まで柏原竜二が4年連続往路優勝のゴールテープを切っていた5区を任される。往路5連覇に向けてトップでタスキを受けるも、強い向かい風が吹き荒れるなかで服部翔大日本体育大学)と山本修平早稲田大学)に逆転を許し3位でゴール。区間10位に終わった[2]

4年次の2013年6月には日本学生陸上競技個人選手権5000mで優勝。しかし脛の故障もあり大学三大駅伝全ての大会でメンバーから外れた。第90回箱根駅伝では5区・10区の給水を務めた[1]

大学卒業後は三菱重工業に入社し、長崎マラソン部に所属[3]。同部は2015年に三菱日立パワーシステムズ(MHPS)に移管された後[4]、2020年9月1日に三菱重工業に再移管されている[5]

2016年の第60回全日本実業団駅伝では1区を務め、トップと6秒差の区間8位[6]。同駅伝では2021年現在まで6回連続出場を果たし、うち4回で区間1桁順位を記録している。

2017年の第53回九州実業団毎日駅伝では最終7区で区間賞の走りを見せ、旭化成を逆転し初優勝のゴールテープを切った。翌2018年の第54回大会でも最終7区で区間賞を獲得。旭化成を逆転し2連覇のゴールテープを切った[7]

2017年の第55回延岡西日本マラソンで初マラソンに挑戦。5回目のマラソンとなる東京マラソン2020では、従来の自己記録を8分48秒も更新する、日本歴代9位(当時)の2時間07分05秒を記録。日本人4番手の10位に入る快走を見せた[7]

大学時代のマイブームはNHK連続テレビ小説オリンピック出場である[8]

記録

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主な戦績

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脚注

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  1. ^ a b 東洋大時代の不完全燃焼感と悔しさが、活躍への原動力に MHPS定方俊樹(上)”. 2021年10月22日閲覧。
  2. ^ a b 箱根駅伝公式Webサイト
  3. ^ 自己記録8分48秒更新 日本人2番手争う躍進、定方俊樹は井上の練習パートナーだった西日本スポーツ 2020年3月2日記事
  4. ^ アジア制した井上大仁「一番強いのは自分」大迫傑に対抗心西日本スポーツ 2019年9月13日記事
  5. ^ 「三菱重工マラソン部」新スタートのお知らせ三菱重工業 2020年9月1日
  6. ^ a b 第60回全日本実業団対抗駅伝競走大会記録集
  7. ^ a b 実業団で自身を見つめ練習を継続、ついにつかんだ飛躍 MHPS定方俊樹(下)”. 2021年10月22日閲覧。
  8. ^ 月刊陸上競技1月号増刊箱根駅伝公式ガイドブック(陸上競技社/講談社)P77より
  9. ^ 日本学生陸上競技連合HP

外部リンク

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