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安場末喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安場 末喜[1](やすば すえのぶ / まき、1858年6月11日安政5年5月1日[2]) - 1930年昭和5年)3月20日[2][3])は、日本実業家政治家貴族院男爵議員[1][4]従三位勲三等公正会所属。

経歴

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熊本県出身。熊本藩士・下津休也の五男として生まれる。1871年(明治4年)、東京に出て大学南校に学び、半年にして郷に帰り、竹崎律治郎の家塾日進学堂において和漢の書籍を学ぶ[1]1875年明治8年)に男爵安場保和の婿養子となる[2][5]

1876年(明治9年)、再び東京に出て慶應義塾に入り、1880年(明治13年)まで在塾する[1]1885年(明治18年)、印刷局に出仕し、判任技手として製紙業に従事する[1]1890年(明治23年)、慶應義塾特選[4]、製紙事業研究のため米国留学[1]

その後、官を退き東肥製紙へ勤務。官営模範工場三菱合資会社堺セルロイドで製糸業に従事。台湾総督府製紙事業取調事務等を務める。後に台東製糖社長、台東開拓社長、大日本セメント・新竹製糖・岐阜電力の各監査役などを歴任。

養父の死去に伴い、1899年(明治32年)6月7日、男爵を襲爵[2][6]1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7]、死去するまで在任した[3][8]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『慶応義塾出身名流列伝』569 - 570頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2010年2月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、754頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』87頁。
  4. ^ a b 『慶応義塾塾員名簿 昭和4年版』574頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月13日閲覧。
  5. ^ 安場末喜『人事興信録. 初版(明36.4刊)』
  6. ^ 『官報』第4779号、明治32年6月8日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
  9. ^ 井野英一『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』

参考文献

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  • 三田商業研究会編『慶応義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 千田稔『華族総覧』講談社講談社現代新書〉、2009年。


日本の爵位
先代
安場保和
男爵
安場(保和)家第2代
1899年 - 1930年
次代
安場保健