安場保健
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安場 保健(やすば やすたけ、1888年(明治21年)6月18日[1] - 1944年(昭和19年)2月3日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、電気技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]実業家・安場末喜の長男として生まれた[1][3]。父の死去に伴い、1930年(昭和5年)4月15日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
1913年(大正2年)7月、東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業[2][3][5]。同年、芝浦製作所に入社[2]。その後、東洋電気製作所取締役、東京金鋼技術顧問、東京港運社長、芝浦運輸社長、東亜印刷監査役などを務めた[2][3]。
1934年(昭和9年)2月15日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、公正会に所属して死去するまで2期在任した[2][8]。その他、逓信省委員、運輸通信省委員などを務めた[2]。
親族
[編集]- 妻:輝子(田健治郎二女)[1]
- 長男:保雅(男爵)[1]。観世流の能楽をおさめ名誉師範となった[9]。
- 二女:美代子(松岡康光夫人)[1]
- 弟:安場保雄(海軍中将)、村田保定(弁護士・貴族院男爵議員)、安場保国(山陽パルプ副社長、子に安場保吉)[10]
- 義兄弟(姉妹の夫):富永敏麿(矢野二郎の甥、工学士)、清野謙次(医学博士)、平野義太郎(法学博士)[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』754-755頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』87頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』ヤ36頁。
- ^ 『官報』第986号、昭和5年4月16日。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正2年 至大正3年』東京帝国大学、1914年、学士及卒業生姓名167頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、43頁。
- ^ 『官報』第2136号、昭和9年2月16日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、556頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ a b 安場保健『人事興信録 10版(昭和9年) 下卷』
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 安場末喜 |
男爵 安場(保和)家第3代 1930年 - 1944年 |
次代 安場保雅 |