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安井昌二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やすい しょうじ
安井 昌二
安井 昌二
『ビルマの竪琴』(日活、1956年)スチル写真より
本名 四方 正雄
(よも まさお)
別名義 四方 正夫
生年月日 (1928-08-16) 1928年8月16日
没年月日 (2014-03-03) 2014年3月3日(85歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府
死没地 日本の旗 日本千葉県
職業 俳優
ジャンル 舞台映画テレビドラマ
配偶者 小田切みき( - 2006年
著名な家族 四方正美(長女)
四方晴美(次女)
所属劇団 劇団新派
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安井 昌二(やすい しょうじ、1928年8月16日 - 2014年3月3日)は、日本俳優。本名:四方 正雄(よも まさお)。旧芸名は四方正夫。「劇団新派」所属。

経歴

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東京府出身。日本大学法文学部中退[1][2]長谷川一夫主宰の劇団・新演伎座俳優座養成所(3期)を経て、活動再開まもない日活映画の専属俳優となり『月は上りぬ』(1955年、田中絹代監督)で映画デビューを果たす。これを機に芸名を四方正夫から、役名の「安井昌二」へと改名した。1956年に市川崑監督の映画『ビルマの竪琴』の主役・水島上等兵を演じたことで一躍人気を得る。1960年代以降はテレビや舞台へと活動拠点を移し、妻・小田切みきと二人の娘四方正美四方晴美と夫婦親子役で出演した『パパの育児手帳』『チャコちゃん』などでお茶の間においても人気者となった。1963年に初代水谷八重子の相手役として新派公演へ招かれたのを機に度々客演し、1968年に正式に新派へ入団。初代八重子亡きあとは、二代目水谷八重子波乃久里子菅原謙二と共に「新派四本柱」として劇団を担い、舞台を中心に活動を続けていた。

2014年3月3日午前9時、急性心不全のため千葉県の自宅で死去[3]。85歳没。

出演作品

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舞台

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映画

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テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ 『朝日年鑑』1990年版第2巻157ページ
  2. ^ 『讀賣年鑑』2009年版第2部438ページ
  3. ^ 俳優・安井昌二さんが死去 85歳、急性心不全 スポーツ報知 - archive.today(2014年3月4日アーカイブ分)

外部リンク

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