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守印

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しゅいん
守印
延暦2年 - 承和10年12月29日
783年 - 844年1月22日
生地 和泉国
宗派 法相宗倶舎宗
寺院 元興寺
勝虞
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守印(しゅいん、延暦2年(783年) - 承和10年12月29日844年1月22日))は平安時代初期の元興寺の僧。伝灯大法師和泉国の人。俗姓は土師氏[1]

人物

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勝虞の門徒で、延暦14年(795年)、年分度者として具足戒を受ける。聡敏で、経を一度聞けば、諳んじて忘れず、暫し見るだけで記しても脱字がなかった。法相宗倶舎論を深く学び、論議で敵う者は希だった[1]

鼻がよく利き、留守中に来客があり、童子が客から貰った食事を食べた事を嗅ぎ取ったという[1]

続日本後紀』は守印が朝廷で講じずに死んだことを惜しんでいる[2]倉本一宏は守印が僧綱に就けなかったことについて、「才能が出世の妨げ」になったと推測している[3]

伝記

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参考文献

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c 『続日本後紀』承和10年12月29日、『元亨釈書』
  2. ^ 『続日本後紀』承和10年12月29日
  3. ^ 倉本一宏「平安時代、才能も地位もあった僧が出世できなかった理由 平安貴族列伝(33)」, 日本ビジネスプレス, 2021

関連項目

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