守印
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しゅいん 守印 | |
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延暦2年 - 承和10年12月29日 783年 - 844年1月22日 | |
生地 | 和泉国 |
宗派 | 法相宗、倶舎宗 |
寺院 | 元興寺 |
師 | 勝虞 |
守印(しゅいん、延暦2年(783年) - 承和10年12月29日(844年1月22日))は平安時代初期の元興寺の僧。伝灯大法師。和泉国の人。俗姓は土師氏[1]。
人物
[編集]勝虞の門徒で、延暦14年(795年)、年分度者として具足戒を受ける。聡敏で、経を一度聞けば、諳んじて忘れず、暫し見るだけで記しても脱字がなかった。法相宗と倶舎論を深く学び、論議で敵う者は希だった[1]。
鼻がよく利き、留守中に来客があり、童子が客から貰った食事を食べた事を嗅ぎ取ったという[1]。
『続日本後紀』は守印が朝廷で講じずに死んだことを惜しんでいる[2]。倉本一宏は守印が僧綱に就けなかったことについて、「才能が出世の妨げ」になったと推測している[3]。