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孔斌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

孔 斌(こう ひん、紀元前3世紀後半ごろ)は、中国戦国時代末期の宰相[1]孔子の子孫。子順[2][3]または子慎[4][2]または[2]または[2]など諸説あり。父は孔穿[2]、子に孔鮒

史記』孔子世家や『漢書孔光伝などの孔家系譜に名前が載っているが、文献によって名や字に相違がある[4]

孔叢子』第15篇から第17篇(陳士義篇・論勢篇・執節篇)に主役として登場する[3]。魏王の招聘を受け入れ、孔子以降の孔家で初めて宰相となった[5]。魏相として、賢者の登用(尚賢)や反政策を講じ[5]に遊説して反秦一致を促し[6]、趙の軍師も務めた[5]

関連項目

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脚注

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  1. ^ 南部 1994, p. 20;23.
  2. ^ a b c d e 成田 1932, p. 164.
  3. ^ a b 南部 1994, p. 20.
  4. ^ a b 伊東 1998, p. 180-183.
  5. ^ a b c 南部 1994, p. 23.
  6. ^ 成田 1932, p. 168.

参考文献

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  • 伊東倫厚「孔安国に至るまでの孔氏の家系ー「孔子家語」後序と「孔叢子」と「尚書」序と」『日本中国学会創立五十年記念論文集』汲古書院、1998年。ISBN 9784762926204 
  • 成田衡夫『孔叢子と先秦思想』1932年https://dl.ndl.go.jp/pid/1027008/1/1 NDLJP:1027008
  • 南部英彦「『孔叢子』の研究 その成書の年代と作者を考える」『集刊東洋学』第72号、東北大学中国文史哲研究会、1994年。 NAID 110000228039