婦女界
婦女界 | |
---|---|
The fujokai | |
『婦女界』創刊号(1910年3月、第1巻第1号) | |
ジャンル | 月刊婦人雑誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
定価 |
15銭 (1910年) 17銭 (1917年) |
出版社 |
同文館 (1910年 - 1912年) 婦女界社 (1913年 - 1949年) 婦女界新社 (1950年) 婦女界出版社 (1952年) |
発行人 | 都河龍 (1913年 - 1950年) |
編集長 | 北町一郎 |
刊行期間 |
1910年3月(第1巻第1号) - 1950年 1952年(再復刊) |
発行部数 | 5万部(1910年3月) |
『婦女界』(ふじょかい)は、かつて存在した日本の雑誌である[1][2][3][4][5]。1910年(明治43年)3月、同文館が創刊、1913年(大正2年)1月からは婦女界社が編集発行した[1][2][3][4][5]。1948年(昭和23年)1月に復刊、1952年(昭和27年)にも再復刊している[1][3]。1917年(大正6年)創刊の『主婦の友』に先行する婦人雑誌であったが、「戦前の四大婦人雑誌」には挙げられなかった[6]。
沿革
[編集]- 1910年(明治43年) - 3月、同文館が創刊
- 1913年(大正2年) - 1月、婦女界社から編集発行
- 1943年(昭和18年) - 3月、同月発行分を最後に発行を停止する
- 1948年(昭和23年) - 1月に復刊
- 1950年(昭和25年) - 休刊
- 1952年(昭和27年) - 婦女界出版社から再復刊、同年11月休刊[3]
略歴・概要
[編集]1910年(明治43年)3月1日、東京市神田区(現在の東京都千代田区神田)の同文館(現在の同文舘出版)が創刊する[1][2][3][4]。「婦女諸姉に対して最も健全且つ多趣味なる読物を提供せん」との意図で創刊された良妻賢母主義の婦人雑誌とされ、創刊号の定価は15銭(当時)、発行部数は5万部、これは先行する『婦人世界』(実業之日本社、1909年創刊)の40万部には足りなかった[3][4][7]。版元の同文館は、教育書籍で知られる企業であり、内容は文芸色に富んでいた[3]。この時期の寄稿者は、坪内逍遥、上田万年ら、『婦人之友』(婦人之友社、1908年創刊)の羽仁吉一・羽仁もと子夫妻も同誌の編集に協力している[2]。
1912年(大正元年)、婦人之友社出身の都河龍が同文館から同誌の発行権を譲り受け、婦女界社を設立、1913年(大正2年)1月発行分(第7巻第1号)からは同社からの編集発行に変更する[1][2][8]。都河は連載小説に力を入れ、小栗風葉、小山内薫、菊池寛、谷崎潤一郎らの小説を掲載した[2]。1916年(大正5年)1月に『婦人公論』、1917年(大正6年)2月に婦女界社出身の石川武美による『主婦の友』、1920年(大正9年)10月に『婦人倶楽部』が追って創刊され、これらに1905年(明治38年)創刊の『婦人画報』を加えて、「戦前の四大婦人雑誌」と呼ばれるようになり、これに『婦女界』が挙げられていないのは、これら後続に押されて精彩を欠いていったことが原因であった[2][6][8]。ほかにも、郡司次郎正『処女刑』(1932年)等が連載された。
第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)3月、3月号(第67巻第3号)をもって休刊を余儀なくされる[1]。同大戦終結後の1948年(昭和23年)1月、婦女界社は、創刊から戦時中までの半年に1巻の巻数を1年に1巻に数えなおし、同月発行の1月号を「第36巻第1号」として「復刊」と銘打って、改めて編集発行を再開する[1]。1950年(昭和25年)7月26日に行われた第8回国会大蔵委員会での宮腰喜助議員の指摘によれば、当時の財団法人交通公社(現在の公益財団法人日本交通公社)は、前年に、婦女界社に対して4,000万円にのぼる融資をしていたとのことであり[9]、このころには、同社は「婦女界新社」と改称、第38巻を数える同年には、再度休刊している[1][5]。このころは、映画化された小糸のぶ『愛の山河』(1950年)等が連載された。
1952年(昭和27年)、主婦の友社および婦女界社出身の西村邦子による婦女界出版社(現在のオクターブ)[10]が「復刊第1巻第1号」として、それまでを通巻せずに編集発行を再開する[1]。同年11月に発行した11月号をもって休刊している[1][3]。
おもな連載小説
[編集]単発掲載も含む。
- 泉鏡花『伯爵の釵』(1920年)
- 小栗風葉『思ひ妻』(1920年1月 - 1921年12月)、『地上の星』(1922年1月 - 1924年1月)
- 谷崎潤一郎『為介の話』『一と房の髪』(1926年)
- 菊池寛『時の氏神』(1924年7月)、『受難華』(1925年3月 - 1926年2月)
- 久米正雄『天と地と』(1926年)、『女の戦史』(1949年)
- 三上於菟吉『鴛鴦呪文』(1926年)
- 広津和郎『勝者復活』(1926年)
- 川口松太郎『子守唄』(1930年8月)、『銀幕』(1932年1月 - 同年3月)、『母なればこそ』(1932年6月)、『かりそめの初夜』(1949年)
- 郡司次郎正『処女刑』(1932年)
- 湊邦三『霧行燈』(1932年8月 - 同年9月)
- 竹田敏彦『露を厭ふ処女』(1936年4月)
- 吉屋信子『みおつくし』(1948年4月)
- 藤島桓夫『花櫛の歌』(1949年)
- サトウ・ハチロー『青春アラベスク』(1949年)
- 小糸のぶ『結婚解消旅行』(1948年)、『愛の山河』(1950年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 婦女界、国立情報学研究所、2012年7月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g 婦女界、世界大百科事典 第2版、コトバンク、2012年7月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 明治後期を彩る女性雑誌広告、吉田秀雄記念事業財団、2012年7月2日閲覧。
- ^ a b c d 明治編 収録雑誌一覧、大宅壮一文庫、2012年7月2日閲覧。
- ^ a b c 婦人雑誌、現代美術用語辞典、2012年7月2日閲覧。
- ^ a b 戦前期四大婦人雑誌目次集成 全36巻、ゆまに書房、2012年7月2日閲覧。
- ^ モダン・ガールは何を飲んでいたのか 5、石倉一雄、フードウォッチジャパン、2012年7月2日閲覧。
- ^ a b 松本、p.10.
- ^ 第8回国会大蔵委員会 第9号、国立国会図書館、2012年7月2日閲覧。
- ^ 株式会社オクターブ 2009年12月21日、バリュープレス、2012年7月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 『職業としての文学』松本徹、『徳田秋聲全集』第39巻、徳田秋聲、八木書店、2002年11月 ISBN 4840697396
- 『〈主婦〉の誕生 - 婦人雑誌と女性たちの近代』、木村涼子、吉川弘文館、2010年8月 ISBN 4642037969
関連項目
[編集]- 同文舘出版
- 婦女界社
- 婦女界出版社
- 倉石忠雄
- 志村立美
- 主婦の友 - 主婦の友社(1917年 - 2008年)
- 婦人倶楽部 - 講談社(1920年 - 1988年)
- 婦人画報 - ハースト婦人画報社(1905年 - )
- 婦人之友 - 婦人之友社(1908年 - )
- 婦人公論 - 中央公論新社(1916年 - )
- 主婦と生活 - 主婦と生活社(1946年 - 1993年)
- 婦人生活 - 婦人生活社(1947年5月 - 1986年)
- ミセス (雑誌) - 文化出版局(文化服装学院、1961年 - )
- マダム (雑誌) - 鎌倉書房(1964年 - 1994年)
- マイライフ (雑誌) - グラフ社(1966年 - 1971年)
- 家庭画報 - 世界文化社(1958年 - )
- 女性 (雑誌) - プラトン社(1922年 - 1928年)
- 婦人サロン - 文藝春秋(1929年 - 1932年)