妙楽寺 (睦沢町の大字)
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妙楽寺 | |
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北緯35度19分50.1秒 東経140度16分22.5秒 / 北緯35.330583度 東経140.272917度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 長生郡 |
市町村 | 睦沢町 |
標高 | 51 m |
人口 | |
• 合計 | 320人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
299-4424[2] |
市外局番 | 0475[3] |
ナンバープレート | 袖ヶ浦 |
※座標・標高は妙楽寺区民センター付近 |
妙楽寺(みょうらくじ)は、千葉県長生郡睦沢町の大字。郵便番号299-4424[2]。
地理
[編集]西から北は佐貫、東は大上、南東はいすみ市荻原、南は大多喜町下大多喜、南西は大多喜町小土呂に隣接している。
歴史
[編集]江戸期は妙楽寺村であり、上総国夷隅郡のうち。「上総国村高帳」では幕府と旗本能勢氏・山下氏の相給、「旧高旧領」では久留里藩と旗本能勢氏・山下氏・伊藤氏の相給。村高は、文禄3年「石高覚帳」315石、「元禄郷帳」632石、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに633石余。「上総国村高帳」では家数138。当村は、大多喜城下に通じる街道にあたり、馬継場であった。大多喜城下へぬける道が嶮岨なため駒返しと呼ばれていた。神社は日吉神社。同社は山王権現とも呼ばれ、酒造り・害虫駆除の神として信仰されてきた。寺院は、天台宗妙楽寺・日蓮宗本妙寺。妙楽寺は嘉祥年間に創建され、当初叡泰寺と称していたが、元亀年間に兵火に焼かれて元和年間に再興、妙楽寺に改称したという(睦沢村古事漫録)。同寺の大日如来坐像は平安末期の作。明治6年千葉県に所属。同年妙楽寺小学校を医師村杉養謙方に設立したが、同12年大上小学校に合併。同18年反別338町3反余(上総国町村誌)。明治22年瑞沢村の大字となる[4]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 夷隅郡瑞沢村大字妙楽寺になる。
- 1955年(昭和30年)7月20日 - 長生郡睦沢村妙楽寺になる。
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 長生郡睦沢町妙楽寺になる。
- 睦沢村が町制施行し、睦沢町となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
妙楽寺 | 113世帯 | 320人 |
施設
[編集]- 妙楽寺区民センター
- 寺台集会所
- 中村集会所
- 荒上公民館
- 妙楽寺青年館
- 妙下集会所
- 川駒館集会所
- 妙楽寺
- 本妙寺
- 日吉神社
交通
[編集]路線バス
[編集]巡回バス
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “第3表町丁字別世帯数及び男女別,年齢(3区分)別人口(平成29年度)”. 千葉県 (2017年8月1日). 2017年11月25日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月27日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月27日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 831頁
- ^ 小湊鐡道バス【バス運賃・時刻表案内】 路線図のご案内 牛久・長南・大多喜エリア、2014-02-10閲覧。
- ^ 路線バス時刻表 | くらしの便利帳 | 睦沢町ホームページ、2014-02-10閲覧。
- ^ 睦沢町町民巡回バス | くらしの便利帳 | 睦沢町ホームページ、2014-02-10閲覧。
- ^ 巡回バス運行時刻表 | くらしの便利帳 | 睦沢町ホームページ、2014-02-10閲覧。
佐貫 | ||||
大上 | ||||
妙楽寺 | ||||
大多喜町小土呂 | 大多喜町下大多喜 | いすみ市荻原 |