女性に対して創設されたイギリス爵位一覧
女性に対して創設された英国爵位一覧(じょせいにたいしてそうせつされたえいこくしゃくいいちらん)は、その女性の権利として授けられたイングランド貴族爵位、スコットランド貴族爵位、アイルランド貴族爵位、グレートブリテン貴族爵位及び連合王国貴族爵位を君主ごとに列挙したものである。
本記事に挙げる叙爵例は現存、廃絶、停止もしくは休止の是非は問わないが、爵位に対する継承条件や紋章といった事項は各個別記事に譲るものとする。
なお、本記事は親族より爵位を継承した有爵女性は除くほか、1958年一代貴族法成立以降に急増した女性有爵者は含まない。
概説
[編集]古来より女性が爵位を帯びることは珍しくなく、女系継承を許す爵位の規定に従って親より相続する例がみられる。ただし女性自身が爵位を得ることは大変珍しく、16世紀以前に遡ればわずかに3例を数えるのみである。また、仮にその女性の権利として爵位を封じられたとしても、1958年一代貴族法成立以前は貴族院に議席を得ることはできなかった[註釈 1]。
こうした女性の権利たる爵位が創設される理由は、以下のものが挙げられる。
- その女性個人の功績によるもの。(例:バーデット=クーツ男爵)
- その女性の父が爵位を保持していたものの、継承規定によって娘への相続が困難であることから特に新設されたもの。この場合は領地との紐付けがなされないため創設は慎重となる。(例:レイリー男爵)
- 王室ときわめて近しい間柄(例:ロイヤル・ミストレス)の女性であるため。(例:クリーブランド公爵、ポーツマス公爵)
- その女性の親族に功績があったため
- その女性の亡夫に功績があったとき。この場合は女性に限らず、その亡夫が存命ならば爵位を継ぐはずだった人物に対して与えられるケースもある。 (例:アーンズクリフのマクドナルド男爵)
- その女性の夫に功績があり存命だが、事情により夫が叙爵を固辞したとき。事情とは夫が庶民院議員在籍を希望した場合等を指す。 (例:ビーコンズフィールド子爵、ダヴェントリー子爵)
- 爵位を帯びた夫に功績があり、夫妻双方にその権利として爵位を与えたとき。(例:バクルー公爵)
- 爵位を帯びた夫に功績があり、夫妻のヤンガーソンに特に相続させたいとき。(例:クロマーティ伯爵)
- 君主が特定の男性に対する叙爵を敬遠して、その妻たる女性にこれを与えたとき。(例:フレンチ男爵)
以下は、年代順に君主ごとの女性に対する爵位創設をまとめた一覧である。また、一覧中の「S」はスコットランド貴族爵位、「I」はアイルランド貴族爵位、「GB」はグレートブリテン貴族爵位、「uk」は連合王国貴族爵位をそれぞれ指すものとする。
リチャード2世
[編集]肖像等 | 爵位名 | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
ノーフォーク女公爵
(イングランド貴族爵位) |
1397年 | 第2代ノーフォーク伯爵マーガレット | 1399年廃絶。 | トマス・オブ・ブラザートンの娘。 | [1] |
ヘンリー8世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 2] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
ソールズベリー女伯爵 | 1513年 | マーガレット・ポール | 1539年の私権剥奪によって爵位褫奪。 | プランタジネット家男系子孫最後の末裔。 | [2] | |
ペンブルック侯爵 | 1532年 | アン・ブーリン | 1536年の大逆罪によって爵位剥奪。 | ヘンリー8世の2番目の王妃。 | [3] |
ジェームズ1世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 3] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
バッキンガム女伯爵 | 1618年 | メアリー・ヴィリアーズ | 1632年廃絶 | 一代貴族爵位。 | [4] | |
オファリー女男爵 | 1620年 | レティス・ディグビー | 現存。
リンスター公爵の従属爵位。 |
[5] | ||
メイドストーン女子爵 | 1623年 | エリザベス・フィンチ | 現存。
ウィンチルシー伯爵の従属爵位。 |
[6] |
チャールズ1世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 4] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
クレイモンド女卿 | 1628年 | エリザベス・リチャードソン | 1735年廃絶。 | [7][8] | ||
ウィンチルシー女伯爵 | 1628年 | エリザベス・フィンチ | 現存。 | [9] | ||
スタッフォード女男爵 | 1640年 | メアリー・スタッフォード | 1693年廃絶扱い[註釈 5]。 | 初代スタッフォード子爵ウィリアム・ハワードの妻。 | [10] | |
リヴァーズ女伯爵
サヴェージ子爵 |
1626年 | エリザベス・サヴェージ | 1650年廃絶。 | 一代貴族爵位。 | ||
ダドリー女公爵 | 1644年 | アリス・ダドリー | 1668年廃絶。 | 冒険家ロバート・ダドリーの妻。一代貴族爵位。 |
チャールズ2世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 6] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
チェスターフィールド女伯爵 | 1660年 | キャサリン・スタノップ | 1667年廃絶 | 一代貴族爵位。 | ||
ギルフォード女伯爵 | 1660年 | エリザベス・ボイル | 1667年廃絶 | 一代貴族爵位。 | ||
バクルー女公爵(S) | 1663年 | アン・スコット | 現存 | 初代モンマス公の妻。 | ||
ルーカス女男爵 | 1663年 | メアリー・グレイ | 現存 | |||
クリーヴランド女公爵
サウサンプトン女伯爵 ノンサッチ女男爵 |
1667年 | バーバラ・パーマー | 1774年廃絶 | チャールズ2世の寵姫。 | [11] | |
ポーツマス女公爵
フェアラム女伯爵 ピーターズフィールド女男爵 |
1673年 | ルイーズ・ケルアイユ | 1734年廃絶 | チャールズ2世の愛妾。一代貴族爵位。 | [12] | |
ベラサイス女男爵 | 1674年 | スーザン・ベラサイス | 1713年廃絶 | 一代貴族爵位。 | ||
ベイニング女子爵 | 1674年 | アン・ベイバー | 1678年廃絶 | 一代貴族爵位。 | ||
コーベット女子爵 | 1679年 | サラ・コーベット | 廃絶 | 一代貴族爵位。 | ||
シェピー女伯爵 | 1680年 | エリザベス・ウォルター | 廃絶 | 一代貴族爵位。 |
ジェームズ2世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 7] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
ドーチェスター女伯爵
ダーリントン女男爵 |
キャサリン・セドリー | 1717年廃絶。 | ジェームズ2世の愛妾、一代貴族爵位。 | |||
スタッフォード女伯爵 | 1688年 | メアリー・スタッフォード | 1693年廃絶。 | 初代スタッフォード子爵ウィリアム・ハワードの妻。
一代貴族爵位。 |
[13] | |
シェルバーン女男爵(I) | エリザベス・ペティ | 1708年廃絶。 | 一代貴族爵位。 | [14] |
ジョージ1世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 8] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
グランヴィル女伯爵
カータレット女子爵 |
1715年 | グレース・カートレット | 1776年廃絶。 | |||
マンスター女公爵(I)
ダンガノン女侯爵 ダンガノン女伯爵 ダンドーク女男爵 |
1716年 | エーレンガルト・シューレンブルグ | 1743年廃絶。 | ジョージ1世の愛妾。
一代貴族爵位。 |
||
ケンダル女公爵
フェヴァシャム女伯爵 グラストンブリ―女男爵 |
1719年 | |||||
リンスター女伯爵(I) | 1721年 | ゾフィア・キールマンゼック | 1725年廃絶。 | ジョージ1世の異母妹。
一代貴族爵位。 |
||
ダーリントン女伯爵
ブレントフォード女男爵 |
1722年 | |||||
ウォルシンガム女伯爵 | 1722年 | ペトロニラ・シューレンブルグ | 1778年廃絶。 | ジョージ1世の庶子。
一代貴族爵位。 |
ジョージ2世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 9] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
ヤーマス女伯爵 | 1740年 | アマーリエ・ヴァールモーデン | 1765年廃絶。 | ジョージ2世の愛妾。一代貴族爵位。 | [15] | |
グランディソン女子爵(I) | 1746年 | エリザベス・メイソン | 1800年廃絶。 | [16] | ||
テンプル女伯爵 | 1749年 | ヘスター・グレンヴィル | 1889年廃絶。 | [17][18] | ||
ブランドン女伯爵(I) | 1758年 | エリス・バーミンガム | 1789年廃絶。 | 一代貴族爵位。 | [19] |
ジョージ3世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 10] | 叙爵年 | 対象者 | 現況[註釈 11] | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
ストール女男爵 | 1760年 | メアリー・ヒル | 1820年廃絶。 | 第4代ストール男爵エドワード・ストールの娘 | [20] | |
チャタム女男爵 | 1761年 | ヘスター・ピット | 1835年廃絶。 | 首相大ピットの妻 | [21] | |
マウント・ステュアート女男爵 | 1761年 | メアリー・ステュアート | 現存。
(ビュート侯爵) |
第3代ビュート伯爵ジョン・ステュートの妻 | [22] | |
ホランド女男爵 | 1762年 | キャロライン・フォックス | 1859年廃絶。 | 政治家初代ホランド男爵ヘンリー・フォックスの妻 | [23] | |
ランフォード女子爵(I)
サマヒル女男爵(I) |
1766年 | エリザベス・ロウリー | 1796年廃絶。 | |||
グランディソン女伯爵(I)
ヴィリアーズ女子爵(I) |
1767年 | エリザベス・メイソン | 1800年廃絶。 | [16] | ||
グリニッジ女男爵 | 1767年 | キャロライン・タウンゼンド | 1794年廃絶。 | 政治家チャールズ・タウンゼンドの妻。 | [24] | |
アーデン女子爵(I) | 1770年 | キャサリン・パーシヴァル | 2011年廃絶。 | [25] | ||
ハメルドンのハミルトン女男爵 | 1776年 | エリザベス・キャンベル | 現存。
(アーガイル公爵) |
[26][27] | ||
ドナウモア女男爵(I) | 1783年 | クリスティアナ・ヒーリー=ハッチンソン | 現存。
(ドナウモア伯爵) |
[28] | ||
ロンフォード女伯爵(I) | 1783年 | エリザベス・ペケナム | 現存。 | |||
コロンのオリエル女男爵(I) | 1790年 | マーガレッタ・フォレスター | 現存。
(マセリーン子爵) |
[29] | ||
フェラード女子爵 | 1797年 | |||||
ウォーターパーク女男爵(I) | 1792年 | サラ・キャヴェンディッシュ | 現存。 | |||
ファーマナ女男爵(I) | 1792年 | メアリー・ヴァーニー | 1810年廃絶。 | |||
バース女男爵 | 1792年 | ローラ・パルトニー | 1808年廃絶。 | |||
バース女伯爵(uk) | 1803年 | |||||
ウィックロー女伯爵(I) | 1793年 | アリス・ハワード | 1983年廃絶。 | |||
フッド女子爵(GB) | 1795年 | スザンナ・フッド | 現存。
(フッド子爵) |
|||
キルウォーデン女男爵(I) | 1795年 | アン・ウォルフ | 1830年廃絶。 | [30][31] | ||
クロフトン女男爵(I) | 1797年 | アン・クロフトン | 現存。 | 夫エドワード・クラフトンの功績によるもの。 | ||
ノーウッド女男爵(I) | 1797年 | グレイス・トーラー | 現存。
(ノーブリー伯爵) |
|||
フレンチ女男爵(I) | 1798年 | ローズ・フレンチ | 現存。 | |||
ダファリン=クランボイ女男爵(I) | 1800年 | ドーカス・ブラックウッド | 現存。 | |||
ヌージェント女男爵(I) | 1800年 | メアリー・ヌージェント=テンプル=グレンヴィル | 1850年廃絶。 | |||
アバークロンビー女男爵(uk) | 1801年 | メアリー・アバークロンビー | 1924年廃絶。 | |||
サンズ女男爵(uk) | 1802年 | メアリー・ヒル | 現存。
(ダウンシャー侯爵) |
|||
ニューコメン女子爵(I) | 1803年 | シャーロット・ニューコメン | 1825年廃絶。 | |||
ド・グレイ女伯爵(uk) | 1816年 | アマベル・ヒューム=キャンベル | 1923年廃絶。 | 名門ケント伯爵グレイ家の遠縁。 |
ジョージ4世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 12] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
レイリー女男爵 | 1821年 | シャーロット・ストラット | 現存。 | 初代リンスター公爵ジェイムズ・フィッツジェラルドの娘。 | ||
フィッツジェラルド=ヴィージー男爵(I) | 1826年 | キャサリン・フィッツジェラルド | 1860年に廃絶。 | 政治家ウィリアム・ヴィージー=フィッツジェラルドの母。 | [32][33] | |
カニング女子爵 | 1828年 | ジョアン・カニング | 1862年廃絶。 | 首相ジョージ・カニングの妻 |
ウィリアム4世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 13] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
マラハイドのタルボット男爵(I) | 1831年 | マーガレット・タルボット | 現存。 | マラハイド港域領主職を世襲。 | [34][35] | |
ウェンマン女男爵 | 1834年 | ソフィア・ウィカム | 1870年廃絶 | |||
ストラスイーデン女男爵 | 1836年 | メアリー・キャンベル | 現存。 | 初代キャンベル男爵ジョン・キャンベルの妻。 |
ヴィクトリア
[編集]肖像等 | 爵位[註釈 14] | 叙爵年 | 対象者 | 現況[註釈 15] | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
インヴァネス女公爵 | 1841年 | セシリア・アンダーウッド | 1873年廃絶 | サセックス公爵フレデリック王子の継室。 | [36] | |
クロマーティ女伯爵
ターバット女子爵 キャスルヘイヴン女男爵 マクラウド女男爵 |
1861年 | アン・ヘイ=マッケンジー | 現存。 | [37][38] | ||
バックハースト女男爵 | 1864年 | エリザベス・ウェスト | 現存。
(デラウェア伯爵) |
|||
ビーコンズフィールド女子爵 | 1868年 | メアリー・ディズレーリ | 1872年廃絶。 | 首相ベンジャミン・ディズレーリの妻 | [39][40] | |
バーデット=クーツ女男爵 | 1871年 | アンジェラ・バーデット=クーツ | 1906年廃絶 | 慈善活動を評されて叙爵。 | ||
ボルゾーバー女男爵 | 1880年 | オーガスタ・キャベンディッシュ=ベンティンク | 1977年廃絶。 | ポートランド公爵家の分家筋。 | [41][42] | |
アーンズクリフのマクドナルド女男爵 | 1891年 | アグネス・マクドナルド | 1920年廃絶。 | カナダ連邦首相ジョン・マクドナルドの妻。 | [43][44] | |
ハンブルデン女子爵 | 1891年 | エミリ・デンヴァーズ・スミス | 現存。 | 庶民院院内総務ウィリアム・ヘンリー・スミスの妻 | [45] | |
ドーチェスター女男爵 | 1899年 | ヘンリエッタ・カールトン | 1963年廃絶。 |
ジョージ5世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 16] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
リッチモンドのケイヴ女伯爵 | 1928年 | アン・ケイヴ | 1938年廃絶。 | 大法官ジョージ・ケイヴの妻。 | [46][47] |
ジョージ6世
[編集]肖像等 | 爵位名[註釈 17] | 叙爵年 | 対象者 | 現況 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
ダヴェントリー女子爵 | 1943年 | ミュリエル・フィッツロイ | 現存。 | 庶民院議長エドワード・フィッツロイの妻 |
脚注
[編集]註釈
[編集]- ^ ただし、相続によって爵位を帯びた有爵女性も1963年貴族法施行以前は同様の状況であった。
- ^ すべてイングランド貴族爵位。
- ^ オファリー男爵位のみアイルランド貴族爵位であり、これ以外はすべてイングランド貴族爵位。
- ^ クレイモンド卿位のみスコットランド貴族爵位であり、残りはすべてイングランド貴族爵位。
- ^ スタッフォード男爵位は世襲貴族爵位だが、メアリーの夫スタッフォード卿が私権剥奪処分を受けていたため、子孫に爵位を継承することができなかった。
- ^ 特に断らない限り、イングランド貴族爵位。
- ^ 特記ない限り、イングランド貴族爵位。
- ^ 特記ない限り、グレートブリテン貴族爵位。
- ^ 特記ない限り、グレートブリテン貴族爵位。
- ^ 特記ない限り、連合王国貴族爵位。
- ^ より上位の爵位の従属爵位として現存する場合は、括弧書きの中にその高位の爵位名を明記する。
- ^ 特記ない限り、連合王国貴族爵位。
- ^ 特に断らない限り、すべて連合王国貴族爵位である。
- ^ 特に断らない限り、すべて連合王国貴族爵位である。
- ^ より上位の爵位の従属爵位として現存する場合は、括弧書きの中にその高位の爵位名を明記する。
- ^ 特に断らない限り、すべて連合王国貴族爵位である。
- ^ 特に断らない限り、すべて連合王国貴族爵位である。
出典
[編集]- ^ Richardson II 2011, p. 638.
- ^ ODNB, which argues that the restoration was a tacit admission of her brother's innocence; however, lands and titles had been restored to the heirs of guilty peers during the previous century.
- ^ Ives, pp. 158–59, p. 388 n32, p. 389 n53; Warnicke, p. 116. Contemporary documents call her marquess or lady marquess of Pembroke; this reflects Tudor spelling. Marquesates were relatively new in sixteenth-century England, and the English translations of French marquis/marquise were spelled even less stable than most Tudor orthography and many forms were used for either. A male peer was marquys, marquoys, marquess and so on; his wife would be marquess, marquesse, marquisess and so on, the same ending as duchess; the resulting confusion was sometimes clarified by such phrases as lady marquess; the modern distinction, by which the wife is marchioness, was imported from Latin in her daughter's reign. The OED and The Complete Peerage (Vol X., p. 402) take Boleyn's title as the feminine sense of marquess; some biographers, such as Fraser, p. 184, take it as the male sense.
- ^ “Extinct English Earldoms”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月24日閲覧。
- ^ Humphreys, Jennett (1888). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 15. London: Smith, Elder & Co. p. 67.
- ^ “Winchilsea, Earl of (E, 1628)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月24日閲覧。
- ^ John Campbell, 1st Baron Campbell, The lives of the chief justices of England, 3rd edition, 4 volumes, 1874
- ^ George Cokayne, The Complete Peerage, 1887–98
- ^ Heraldic Media Limited. “Winchilsea, Earl of (E, 1628)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年12月1日閲覧。
- ^ Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 214–216.
- ^ “Cleveland, Duke of (E, 1670 - 1774)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月14日閲覧。
- ^ Herman. Titles. p. 141
- ^ Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 214–216.
- ^ Owen, W, L. Davis and J. Debrett (1790) - The Peerage of England, Scotland, and Ireland (etc.) p. 122. Here it is said that she was created Baroness by Charles II; this was in fact James II.
- ^ Clark, J.C.D. (2002). The Memoirs and Speeches of James, 2nd Earl Waldegrave 1742-1763. Cambridge University Press. p. 159. ISBN 0-521-52689-2
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- ^ “Cave of Richmond, Earl (UK, 1928 - 1938)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月12日閲覧。
- ^ “No.33383”. The Gazette 11 May 1928. 2020年2月12日閲覧。
参考文献
[編集]- Richardson, Douglas (2011). Everingham, Kimball G.. ed. Magna Carta Ancestry: A Study in Colonial and Medieval Families. III (2nd ed.). Salt Lake City. ISBN 144996639X