カニング伯爵
カニング伯爵 Earl Canning | |
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創設時期 | 1859年5月21日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代伯チャールズ・カニング |
最終保有者 | 初代伯チャールズ・カニング |
付随称号 | カニング子爵 |
現況 | 廃絶 |
断絶時期 | 1862年6月17日 |
モットー | 不幸に屈するのではなく 不幸に抗え (Ne cede malis sed contra) |
カニング伯爵(Earl Canning)は、かつて存在した連合王国貴族の伯爵位。インド総督を務めた第2代カニング子爵チャールズ・カニングが1859年に叙されたのに始まるが、子供がなかったため1862年に彼が死去すると廃絶した。
歴史
[編集]イギリスの首相(在職1827年)や外務大臣(在職1807年-1809年,1822年-1827年)を務めたトーリー党の政治家ジョージ・カニング(1770年-1827年)の妻ジョアン・カニング(1776年-18371837年)(陸軍将官ジョン・スコットの娘)は、夫の死後の1828年1月22日に連合王国貴族爵位キルケニー県におけるキルブラハムのカニング女子爵(Viscountess Canning, of Kilbraham in the County of Kilkenny)に叙せられた。この爵位には彼女の夫の直系・嫡出の男系男子に継承される特別継承者(special remainder)の規定が付けられていた[1]。
この規定により彼女の死後、カニング夫妻の三男(長男と次男は男子なく死去していた)であるチャールズ・ジョン・カニング(1812年–1862年)が2代カニング子爵位を継承した[2]。彼も保守党、穀物法廃止を巡る保守党分裂後はピール派に属した政治家であり、第二次ピール内閣の木材・森林長官(在職1846年)、アバディーン伯爵内閣の郵政長官(在職1853年-1855年)を務めた後、1856年2月にインド総督に就任した。1857年から1858年にかけてインド大反乱の鎮圧にあたり、その功績により1859年5月21日に連合王国貴族爵位カニング伯爵に叙された[3][2]。
しかし子供がなかったため、彼の死去とともにカニング伯爵位とカニング子爵位は廃絶した[2]。
歴代当主
[編集]カニング子爵 (1828年)
[編集]- 初代カニング女子爵ジョアン・カニング (Joan Canning, 1777年–1837年)
- 第2代カニング子爵チャールズ・ジョン・カニング (Charles John Canning, 1812年–1862年)
- 1859年にカニング伯爵に叙される
カニング伯爵 (1859年)
[編集]- 初代カニング伯爵チャールズ・ジョン・カニング (Charles John Canning, 1812年–1862年)
- 彼の死とともに廃絶
関連項目
[編集]- ストラトフォード・ドゥ・レッドクリフ子爵 - ジョージ・カニングの従兄弟ストラトフォード・カニングが1852年に叙された連合王国貴族爵位。一代で廃絶。
- ガーバー男爵 - ジョージ・カニングの従兄弟ジョージ・カニングが1818年に叙されたアイルランド貴族爵位。現存。
出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “Joan Scott, Viscountess Canning of Kilbrahan” (英語). thepeerage.com. 2019年9月8日閲覧。
- ^ a b c Lundy, Darryl. “Charles John Canning, 1st Earl Canning” (英語). thepeerage.com. 2019年9月8日閲覧。
- ^ 浜渦哲雄 1999, p. 107-111.
参考文献
[編集]- 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年(平成11年)。ISBN 978-4120029370。