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奥田 宗久(おくだ むねひさ、1952年4月5日 - 2001年10月7日)は日本の財務官僚。
山口県出身(父母も山口県)[1]。東京都立立川高等学校、一橋大学経済学部経済学科卒業。1976年 大蔵省入省(主計局総務課)。1981年7月 弘前税務署長。1982年7月 国税庁長官官房総務課長補佐。 1990年7月 大臣官房会計課長補佐。1991年6月 大阪国税局調査部長。同年7月 大阪国税局調査第一部長。1993年7月 沖縄開発庁振興局振興総務課長。1997年7月 経済企画庁調整局財政金融課長。1999年9月 造幣局東京支局長。2000年7月 理財局国有財産第一課長。2001年1月6日 財務省理財局国有財産企画課長。同年7月 関東財務局金融安定監理官。同年10月7日 くも膜下出血のため、東京都立川市の病院で死去[2]。
- ^ 『日本の官庁 その人と組織:大藏省』政策時報社、1993年発行、370頁
- ^ 奥田宗久氏死去/関東財務局金融安定監理官 四国NEWS 2001/10/9
- ^ 『職員録 昭和55年版 上巻』大蔵省印刷局、1979年発行、488頁
- ^ 『職員録 昭和56年版 上巻』大蔵省印刷局、1980年発行、496頁
- ^ 『職員録 昭和60年版 上巻』大蔵省印刷局、1984年発行、508頁
- 先代
- 小武山智安
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- 国税庁大阪国税局調査部長
- 1991年
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- 次代
- 廃止
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- 先代
- 新設
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- 国税庁大阪国税局調査第1部長
- 1991年 - 1993年
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- 次代
- 吉川元康
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