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奥村明敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥村 明敬 (おくむら あきよし、天和元年11月22日1681年12月31日) - 宝永3年3月15日1706年4月27日))は、加賀藩年寄。加賀八家奥村分家第4代当主。

父は奥村悳輝。母は品川雅直の娘。兄弟は奥村温良横山貴林奥村有定。幼名茂松。通称兵部。字は存義。号は誠斎、稽善、憲章。

生涯

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天和元年(1681年)11月22日、加賀藩年寄奥村悳輝の三男として金沢に生まれる。兄2人が夭折したため父の嫡男となる。悳輝と同じく学問に熱心な人物であった。元禄5年(1692年)、13歳で藩主・前田綱紀に御目見する。元禄11年(1698年)、19歳で父に従い江戸に下向する。宝永2年(1705年)6月13日、父の死去により家督と知行1万7450石を相続し、人持組頭となる。宝永3年(1706年)、病に倒れ3月15日に没する。享年26。法号は明憲章軒慈観居士。藩主綱紀は、明敬病臥の知らせを聞いて病状を問う使者を送り、没したことを知ると喪に服した。家督は実弟温良が相続した。

参考文献

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  • 『加賀藩史稿』