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天佐志比古命神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天佐志比古命神社(一宮神社)
天佐志比古命神社の拝殿
所在地 島根県隠岐郡知夫村知夫1018
位置 北緯36度0分49.6秒 東経133度2分31.2秒 / 北緯36.013778度 東経133.042000度 / 36.013778; 133.042000 (天佐志比古命神社)座標: 北緯36度0分49.6秒 東経133度2分31.2秒 / 北緯36.013778度 東経133.042000度 / 36.013778; 133.042000 (天佐志比古命神社)
主祭神 天佐志比古命
神体 銅鏡
社格 式内小社
創建 承和15年(848年)以前
本殿の様式 春日造り変態
別名 一宮神社、一宮さん
例祭 7月15日
地図
天佐志比古命神社(一宮神社)の位置(島根県内)
天佐志比古命神社(一宮神社)
天佐志比古命神社(一宮神社)
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天佐志比古命神社(あまさしひこのみことじんじゃ)は、島根県隠岐郡知夫村にある神社

概要

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天佐志比古命神社は、延喜式にも記載があり、知夫七座のうちの一座とされる[1]。 村内では一宮神社いちのみやじんじゃや「一宮さんいっくうさん」と呼ばれている[2]。 境内には芝居小屋があり、神楽や子供歌舞伎が開催されている[3]

祭神

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天佐志比古命あまさしひこのみこと[2]
別名を大己貴命オオナムチノミコト大国主命おおくにぬしのみことと言い、同一の神様を祀ったものである[1]

歴史

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創建(中世)

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写真奥の無人島が神島

創建は848年以前と考えられており[4]、続日本後記や隠岐島誌などにその伝承が語られている。以下はその主なものである[5][4]

  • 「人皇32代用明天皇之時鎮座於新府利南海中之島嶼五十九年」とあり、天佐志比古命は知夫村の無人島である神島(かんじま)に降り立ち59年間座したとされる[1][5]
  • 「人皇三十七年孝徳天皇白雉四年発五八月五日午刻移遷於新府利東浜詰」とあり、654年に仁部地区の東浜に遷移したとされる[1][5]。その後1000年余り、仁部地区に鎮座した[1]

1332年に隠岐に島流しとなった後醍醐天皇が知夫村に寄られた際に、天佐志比古命神社に参拝した[1]

近世

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17世紀(江戸時代)頃、仁夫地区から現在地の郡地区に移された[1]

明和年間にクジラの漂着を機に、子どもによる手踊りの奉納が始まる[5]。手踊りは、文政頃から歌舞伎に近いものに変化しており[6][要文献特定詳細情報]、現在(1998年時点)の村芝居に近いものとなっている[7]

近代

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1969年(昭和39年)[疑問点]再建遷宮祭が行われる[8]

境内

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後醍醐天皇御腰掛の石
元弘2年(1332年)に隠岐に配流となった後醍醐天皇が、天佐志比古命神社にご参拝された際に、腰を掛けてお休みになられたといわれている石[8]
天佐志比古命神社芝居小屋
廻り舞台を有する農村歌舞伎舞台であり、建物の正面に石垣状の観覧席が設置されている村指定文化財[9]。皆一踊りや融年開催される地区祭りが開催されている[1]
東照大権現
由来は未詳[10]
力士碑
明治15年 龍浪弥七 若群 万力米吉 中連」と、2名の力士名が刻んである[11]。両者郡地区出身の力士であり、大いに活躍したことからそれを表彰したものである[11]
恵比寿さん
恵比寿像と「嘉永2年 松養寺快善」と書かれている[12]
精神作興碑
「日本軍人の腕前を知らずや 島根県知事 福邑正樹」と刻まれている[13]昭和7年に戦死した大江地区出身の杉山安一が、敵兵に槍で刺され負傷した[13]。負傷してもなお、碑文の言葉を大声で吐きながら奮闘したことから、杉山の根性を称え建立されたとされる[13]

行事

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一宮神社例大祭
皆一踊り
旧暦8月15日に奉納される豊作を祈る踊り[14]。「ハアー 皆一様に お並びなされ 踊り手振りを お目にかけよう サーサササー」の歌声とともに皆一踊りが催される[14]。村指定無形文化財に指定されている[4]
一宮神社例大祭
2年に一度(西暦 偶数年)、7月下旬に開催[1]。芝居などの奉納演芸が行われる[1]三番叟白波五人男は中学生が上演している[1]。芝居は、江戸時代明和年間に漂クジラが漂着し、その後村内に疫病が流行ったことをうけ、子どもたちの手踊りを奉納したのが始まりである[5]
十社参り
知夫には手術成功祈願や人が亡くなった後の忌明の際に村内の10社を周る十社参りという風習がある[15]。天佐志比古命神社も10社のうちの一つである[16][17]

文化財

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村指定文化財

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有形文化財
天佐志比古神社 芝居小屋 - 1995年(平成7年)4月1日指定[9]
無形民俗文化財
皆一踊り - 2001年(平成13年)11月1日指定[9]

交通アクセス

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 隠岐歴史民俗研究会 1998, p. 124.
  2. ^ a b 知夫村小中学校教員会 1990, p. 100.
  3. ^ 地球の歩き方編集室 2023, p. 37.
  4. ^ a b c 隠岐島前・島後神社MAP” (PDF). 隠岐ジオパーク推進機構. 2024年6月27日閲覧。
  5. ^ a b c d e 山陰の神々刊行会 2011, p. 69.
  6. ^ 島根県教育委員会『島根県史』報光社、1973年3月25日、344頁。 
  7. ^ 隠岐歴史民俗研究会 1998, p. 125.
  8. ^ a b 知夫村誌編纂委員会 1996, p. 851.
  9. ^ a b c 文化財等一覧”. 知夫村. 2024年6月29日閲覧。
  10. ^ 知夫村誌編纂委員会 1996, p. 852.
  11. ^ a b 知夫村誌編纂委員会 1996, p. 856.
  12. ^ 知夫村誌編纂委員会 1996, p. 855.
  13. ^ a b c 知夫村誌編纂委員会 1996, p. 859.
  14. ^ a b 隠岐歴史民俗研究会 1998, p. 128.
  15. ^ 知夫村誌編纂委員会 1996, p. 765.
  16. ^ 山 2020, p. 43.
  17. ^ 知夫村誌編纂委員会 1996, p. 766.
  18. ^ 隠岐楽 隠岐を楽しむ観光ガイド2023デジタルパンフレット” (PDF). 隠岐ジオパーク推進機構 (2022年4月17日). 2024年6月27日閲覧。

参考文献

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  • 隠岐歴史民俗研究会『隠岐の国散歩』ハーベスト出版、1998年10月。ISBN 4938184184 
  • 山陰の神々刊行会『山陰の神々 古社を訪ねて 神話のふるさと因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐を巡拝』今井出版、2011年6月20日。ISBN 978-4-901951-59-3 
  • 地球の歩き方編集室『隠岐』(3訂版)地球の歩き方〈地球の歩き方 島旅 09〉、2023年6月6日。ISBN 978-4-05-802041-8 
  • 知夫村小中学校教員会『郷土学習資料集 ちぶ』知夫村小中学校教員会、1990年。国立国会図書館サーチR100000001-I32111100333106 
  • 知夫村誌編纂委員会 編『新修 知夫村誌』知夫村、1996年12月1日。 NCID BA37098855 
  • 山穂「知夫里島の「十社参り」について」『隠岐の文化財』第37号、隠岐の島町教育委員会、2020年3月、43-51頁、全国書誌番号:00077972 

関連項目

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外部リンク

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